継体天皇磐余玉穂宮跡

けいたいてんのう いわれのたまほのみやあと (Iware-tamaho Palace Ruins of Emperor Keitai)

【P-NR022】探訪日:2022/6/13

【P-NR022】磐余玉穂宮跡 奈良県桜井市池之内

【MAP】

〔駐車場所〕

【P-NR022】磐余玉穂宮跡

   526(継体天皇20)年、第26代・継体天皇が最後に大和の磐余に遷都した宮跡とされる。履中天皇磐余稚桜宮跡とされる稚桜神社から西約300m、磐余池の南に位置する小高い丘の上にあったと考えられる。
 506(武烈天皇8)年に第25代・武烈天皇が後嗣なく崩御すると、大連・大伴金村は応神天皇の5世孫にあたる越前国(近江国とも)の男大迹王を何度も説得し、翌年、男大迹王は河内国樟葉宮において即位する(継体天皇)。樟葉において即位したのは、樟葉の地が近江から瀬戸内海を結ぶ淀川の中でも特に重要な交通の要衝であったからであると考えられている。しかし、その後も筒城宮,弟国宮と遷都を繰り返し、即位から20年後の526年にようやく王城の地である大和に宮を築くことができた。なお、継体天皇は近江か越前の豪族で自ら皇位を簒奪したとする説もある。
 継体天皇はこの宮で晩年の5年を過ごし、531(継体天皇25)年に皇子の勾大兄(後の安閑天皇)に譲位し同日崩御した(記録上最初の譲位例)。陵は、宮内庁により三嶋藍野陵(築造時期は5世紀中頃)に治定されているが、歴史学界では今城塚古墳(6世紀前半の築造)が真の継体天皇陵とするのが定説となっている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 古墳時代
関連年号 526年・531年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
継体天皇 K301 大伴金村 OT01

 

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▲北から見る

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▲西から東方向を見る(手前の小高い山が磐余稚桜宮跡)

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▲西から東方向を見る

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▲北から南西方向を見る

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