雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地(十二神社)

ゆうりゃくてんのう はつせのあさくらのみや でんしょうち(じゅうにじんじゃ)
 (Hatsuse-asakura Palace Traditional Ruins of Emperor Yuryaku [Juni Shrine])

【P-NR020】探訪日:2022/6/13

【P-NR020】泊瀬朝倉宮伝承地(十二神社) 奈良県桜井市岩坂247

【MAP】

〔駐車場所〕細い道を進むが、十二神社前に駐車場がある。

【P-NR020】泊瀬朝倉宮伝承地(十二神社)

   『帝王編年記』『和州旧跡幽考』などで磐坂谷の十二神社境内が第21代・雄略天皇が営んだ朝倉宮の伝承地に挙げられている。初瀬川の氾濫を想定して高所に宮を定めたと推定される。
 このほか、伝承地には桜井市黒崎の白山神社【P-NR018】、その北の「天の森」【P-NR019】、そして1984(昭和59)年に発見された脇本遺跡【P-NR017】があり、考古学的見地からは脇本遺跡が朝倉宮の有力な候補地とされている。宮跡の確定は今後の調査を待たなければならないが、三輪山の南の旧伊勢街道沿いに営まれていた可能性は高い。
 457?(安康天皇3)年8月、父である安康天皇が眉輪王に暗殺されると、大泊瀬皇子(のちの雄略天皇)は眉輪王,兄弟,従兄弟を次々と殺害し、11月に帝位に就いた。即位後もこれまで権勢を振るってきた葛城氏や最大の地域豪族であった吉備氏を滅ぼし、専制政治を行った。軍事面,外交面では手腕を振るったが、やはり気性の激しい暴君的な所業が多く見られ、『日本書紀』には「大悪天皇」と誹謗されている。また、『宋書』等に記された5世紀末の倭王「武」を雄略天皇に比定する説が強い。
 即位23年8月に病のため崩御した。『古事記』では享年124歳とされる。陵は丹比高鷲原陵。宮内庁により大阪府羽曳野市島泉の島泉丸山古墳(高鷲丸山古墳),島泉平塚古墳(高鷲平塚古墳)に治定されている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 伝承の時代(古墳時代:中期)
関連年号 457年?
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
雄略天皇 K202

 

【P-NR020】泊瀬朝倉宮伝承地(十二神社)  
 かなり上ったところの山の中腹であり、初瀬川の氾濫を避けたといっても宮としては適さないであろう。やはり脇本遺跡の辺りが本命かと思われる。

 

【P-NR020】泊瀬朝倉宮伝承地(十二神社)

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