用明天皇磐余池辺双槻宮伝承地(吉備春日神社)

ようめいてんのう いわれのいけのべのなみつきのみや でんしょうち(きびかすがじんじゃ)
(Iware-ikenobe-namitsuki Palace Traditional Ruins of Emperor Yomei [Kibi-kasuga Shrine])

【P-NR024】探訪日:2022/7/2

【P-NR024】磐余池辺双槻宮伝承地(吉備春日神社) 奈良県桜井市吉備259

【MAP】

〔駐車場所〕

【P-NR024】磐余池辺双槻宮伝承地(吉備春日神社)

   吉備春日神社辺りは、585(敏達天皇14)年、第31代・用明天皇が宮とした磐余池辺双槻宮跡の伝承地のひとつとされる。
 しかし、双槻宮は厩戸皇子が斑鳩宮に遷るまで住んだ上宮の北に位置するとされたが、1986(昭和61)年、吉備春日神社の東南東に上宮跡とみられる上之宮遺跡が発見され位置関係に矛盾が生じたことで、吉備春日神社の双槻宮説は可能性は低くなった。むしろ、位置関係からすれば、もう一つの伝承地である石寸山口神社のほうが合致する。ただ、磐余池の確定など含め、疑問点は多く宮跡の確定には至っておらず、今後の調査が待たれる。
 用明天皇は王朝において仏教を公認し、後の仏教隆盛の礎をつくったが、疱瘡のため在位2年足らずの587(用明天皇2)年4月に崩御し磐余池上陵に葬られたのち、593(推古天皇元)年9月に河内磯長原陵に改葬された。磐余池上陵は後者の磐余池辺双槻宮の辺りとする説もある。
 なお、吉備春日神社の北側には「神武天皇聖蹟磐余邑顕彰碑」が建ち、南側には百済大寺と考えられる吉備池廃寺跡を含む吉備池がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】 
【国重文】

【P-NR024】磐余池辺双槻宮伝承地(吉備春日神社)

関連時代 古墳時代:後期
関連年号 585年・587年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
用明天皇 K302

 

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【P-NR024】磐余池辺双槻宮伝承地(吉備春日神社)

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▲石寸山口神社

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