峯塚古墳

みねづかこふん(Minezuka-Kofun Tumulus)

【K-NR108】探訪日:2022/7.24

【K-NR108】峯塚古墳 奈良県天理市杣之内町196

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-NR108】峯塚古墳

   杣之内古墳群を構成する古墳の1つで、奈良盆地東縁から延びる小丘陵尾根の南裾に築造された大型円墳である。墳丘は3段築成で、1段目裾は直径35.5m、2段目裾は直径28.4m、3段目裾は直径17.6mを測り、墳丘全体としては高さ約5mとなる。墳丘周囲には周濠の可能性が指摘される。
 主体部の埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。花崗岩の巨石の切石を用い、岩屋山古墳に類似する岩屋山式石室になる。石室全長11.11m、玄室は長さ4.46m,幅2.58m(奥壁)・2.60m(玄門),高さ2.4mで羨道は長さ6.65m,幅2.28m,高さ1.70mである。玄室は奥壁,側壁とも2段積みであり、目地には漆喰が使用される。玄室の天井石は3枚。なお、早い段階で盗掘に遭っているため副葬品は詳らかでない。
 築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半~中葉頃と推定される。被葬者は、斉明天皇陵の可能性のある岩屋山古墳の石室と同型式である点、本古墳の貼石で使用された天理砂岩の切石は斉明朝の酒船石遺跡でも使用されている点から、斉明天皇期に活躍した人物が想定されるほか、物部氏の首長墓とする説も挙げられている。
 また、地域を超えて橿原市に所在する小谷古墳の石室とほぼ同一設計であることから、古墳時代終末期に入ると石工集団が豪族管理から朝廷管理に移行したとも考えられている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 飛鳥時代
関連年号 7世紀前半~中葉
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
物部氏 MB**

 

【K-NR108】峯塚古墳
  

 

【K-NR108】峯塚古墳

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六地蔵 この奥が峯塚古墳 墳丘 開口部 羨道 石室 奥石と天井石 羨道から開口部を見る 周濠跡