曼殊院門跡

まんじゅいんもんぜき(Manjuin-monzeki Temple)

【T-KT055】探訪日:2015/11.7

【T-KT055】曼殊院門跡 京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42 <📲:075-781-5010>

【MAP】

〔駐車場所〕

   竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院で、青蓮院,三千院(梶井門跡),妙法院,毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。本尊は阿弥陀如来。延暦年間(782~806年)、最澄が比叡山上に営んだ一坊がその起源とされる。円仁,安恵らを経て、天暦年間(947~957年)、菅原氏出身(道真の叔父)の是算国師のとき、比叡山西塔北谷に移り、東尾坊と称したという。曼殊院ではこの是算を初代としている。その後、天仁年間(1108~10年)に北山に本拠を移し、さらに康暦年間(1379~81年)には洛中へと移転した。
 1495(明応4)年頃、伏見宮貞常親王の息で後土御門天皇の猶子である大僧正・慈運法親王が26世門主として入寺して以降、曼殊院は代々皇族が門主を務めることが慣例となり、宮門跡としての地位が確立した。
 東山山麓の現在地に移ったのは1656(明暦2)年のことで、寺観を整えたのは八条宮智仁親王の第二皇子で後水尾天皇の猶子であった29世門主の良尚法親王であった。現存する大書院(本堂),小書院などはこの時のものである。また、良尚法親王は桂離宮を造営したことでも知られるが、この時に建てられた書院内の釘隠しや引手,欄間などは桂離宮と共通した意匠がみられ、同じ系列の工房で作られた物である。これらにより曼殊院は「小さな桂離宮」とも呼ばれている。

【史跡規模】

【指 定】国指定名勝:曼殊院庭園

【国 宝】

  ・絹本著色不動明王像(黄不動):平安時代末期の制作と推定

  ・古今和歌集(曼殊院本)1巻

【国重文】

  ・大書院(本堂)附:廊下    ・小書院 附:茶室   ・庫裏

  ・木造慈恵大師坐像       ・木造阿弥陀如来坐像

  ・玄関障壁画(紙本金地著色竹虎図)11面(襖貼付8、壁貼付3)

  ・紙本著色是害房絵 2巻      ・絹本著色草虫図 2幅 呂敬甫筆 

  ・源氏物語 蓬生,薄雲,関屋 3冊   ・論語総略(紙背消息)

  ・教訓鈔及続教訓鈔 9巻(続教訓鈔に明徳年間豊原量秋書写奥書)

      (附:石清水八幡宮護国寺恒例仏神事次第)

  ・古今伝授関係資料 73種      ・後柏原天皇宸翰後土御門後柏原両天皇詠草

  ・紺紙金泥般若心経 後奈良天皇宸翰

    ・花園天皇宸翰御消息(7通)      ・花園天皇宸翰御消息(普賢形像事云々)

  ・慈円僧正筆消息         ・池坊専好立花図(42図)1帖

関連時代 平安時代:前期 平安時代:後期 南北朝時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 782~806年 1108~10年 1379~81年 1495年 1656年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
最澄 **** 是算 SW01 慈運法親王 K401
良尚法親王 K621

 

【T-KT055】曼殊院門跡
  

 

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曼殊院門跡境内案内(曼殊院門跡ホームページより)

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