真正極楽寺(真如堂)

しんしょうごくらくじ(しんにょどう)(Shinshogokuraku-ji Temple [Shinnyodo])

【T-KT048】探訪日:2015/10.4・11.7

【T-KT048】真正極楽寺(真如堂) 京都府京都市左京区浄土寺真如町82 <📲:075-771-0915>

【MAP】

〔駐車場所〕

   984(永観2)年、延暦寺の僧・戒算が夢告によって、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりとされる。992(正暦3)年、一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師円仁が一刀三礼にて彫刻したもので、完成直前に「比叡山の修行者の本尊となりたまえ」と言って白毫を入れようとすると、阿弥陀像は首を三度横に振って拒否されたため、「では京の都の民、中でも女人等を救いたまえ」と言うと、阿弥陀像は三度頷かれたという伝説がある。
 1467(応仁元)年に始まった応仁の乱に巻き込まれ、堂塔は焼失したが、本尊は事前に避難させていたという。応仁の乱が終息すると、一条西洞院に寺地を改めるが、1484(文明16)年には旧地の神楽岡にもどり再建された。1493(明応2)年、本堂が完成。しかし、1569(永禄12)年、足利義昭の命により一条通北に移転し、さらに1587(天正15)年には、豊臣秀吉によって聚楽第建設のために京極今出川に移転となる。1604(慶長9)年、豊臣秀頼の寄進によって本堂が建立された。その後も本堂の焼失,再建があり、1693(元禄6)年、東山天皇の勅によって現在地に移転、再建され、1717(享保2)年に本堂が完成した。
 三井家の菩提寺で三井高利ら三井一族の墓石が並んでいる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】法華経 自巻第二至巻第七 6巻(1183年運慶願経)

【国重文】・本堂

     ・絹本著色普賢菩薩像

     ・紙本著色真如堂縁起 3巻

     ・紙本墨画淡彩寒山拾得図(狩野山雪筆)

     ・木造阿弥陀如来立像(本尊)

     ・慈円僧正消息

関連時代 平安時代:前期 室町時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 984年・992年 1467年・1484年 1569年・1587年 1604年・1693年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
戒算 **** 藤原詮子 F501 一条天皇 K326
足利義昭 G333 豊臣秀吉 ZZ01 豊臣秀頼 ZZ01
東山天皇 k607 三井高利 F793

 

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