赤尾城跡

あかおじょうあと (Akao Castle Ruins)

【C-NR040】探訪日:2022/11.19

【C-NR040】赤尾城跡 奈良県桜井市赤尾318

【MAP】

〔駐車場所〕住宅地南端の集会所付近(墓地前)に駐車させていただく。

【C-NR040】赤尾城跡

   1341(興国2/暦応4)年、南朝方の高階義岑と弟の西阿(戒重西阿)によって比高約50mの山稜先端部に築かれた。しかし、その年の7月に北朝方の細川顕氏軍に攻められ落城、西阿らは東の外鎌城へと退いたが、外鎌城も7月3日に落城した。西阿の城には、このほか戒重城,河合城,安房城,外山城があったが、この時すべて落城している。
 その後、戦国期になると1565(永禄8)年、松永久秀と筒井順慶とがこの地域で対峙した際に、松永方の陣城として使用されていたともいわれており、その際にも城は改修が加えられた可能性が高い。
 北側の主郭は南北長軸30mほどの楕円状で、周囲には横堀が巡らされている。主郭南側には二重堀切が設けられ、南端の二郭と分断している。さらに二郭の南側にも二重堀切が掘られている。小規模ながら堀切,横堀を巧みに用いた防御性の高い構造となっている。

【史跡規模】

【指 定】 

【国 宝】  

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1341年 1565年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
高階義岑 KS** 戒重西阿 KS** 細川顕氏 G***
松永久秀 ****

 

【C-NR040】赤尾城跡
 東西どちら側にも明確な登城道が見つからず、結局、最初は西側(写真のルート)、そのあと東からも斜面を直登した。どちらかといえば、西側からの方が上りやすい。主郭と二郭の間の二重堀切はしっかり確認できる。そこから下へ下ると三郭である。

【C-NR040】赤尾城跡

赤尾城縄張図(『日本城郭大系』に加筆)

【C-NR040】赤尾城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

北からの遠景(右の通路を入る) 雑草で見づらいが、ここに木段がある ここを上る 西側の斜面を直登 南の堀切 堀切を上から見る 二郭 主郭 主郭と二郭の間の二重堀切 二重堀切から三郭を見る 三郭