柳生城跡

やぎゅうじょうあと (Yagyu Castle Ruins)

【C-NR009】探訪日:1989/12/9・2014/9/8・2022/6/8・2022/6/13

【C-NR009】柳生城跡 奈良県奈良市柳生下町170

【MAP】

〔駐車場所〕芳徳寺下に市営駐車場があるが、600円と割高

【C-NR009】柳生城跡

   築城年,築城者は定かではないが、柳生古城を築城した柳生播磨守永珍もしくはその子孫によって南北朝時代に築かれたと考えられる。
 1544(天文13)年には大和統一を目指す筒井順昭の攻撃に対し簀川氏らと連合して抵抗したが、1万の筒井勢に外城(柳生古城)を落とされ、さらに水の手を断たれたことで柳生城は落城した。1571(元亀元)年、筒井順慶と松永久秀とが辰市で合戦をした際には、柳生氏は古市氏らと共に松永勢に協力している。廃城時期は定かではないが、文禄時代(1592~96年)の太閤検地にて柳生家は隠田の罪で所領を没収されているため、その頃と推測される。
 しかしその後、柳生氏は徳川家康に将軍家兵法指南役として迎えられ、柳生藩の大名にまで栄進する。
 柳生城は柳生氏の菩提寺である芳徳寺の南東にある標高322mの山に築かれている。正木坂剣禅道場,芳徳寺の部分も城域とされ、境内には土塁が残されている。「石舟斎塁城址」の碑も芳徳寺の門前に建つ。主郭は周囲を高い切岸と北西,北東,南東,南のそれぞれの堀切で尾根と遮断されている。このうち北東の三郭は二条の堀切で区切られ、南の簡易水道施設のある曲輪(二郭)の南には大堀切がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】 
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
柳生宗厳 YG01

 

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▲正木坂道場前の井戸小屋横の道を入る

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▲二郭南の大堀切

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▲二郭

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▲二郭(水道施設)

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▲二郭南の大堀切を見下ろす

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▲主郭へ(途中に小曲輪がある)

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▲虎口へ

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▲虎口の石列

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭

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▲主郭北西の堀切

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▲中央が三郭(左右に堀切)

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▲主郭と三郭間の堀切

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▲主郭と三郭間の堀切

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▲三郭(右は堀切)

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▲三郭(北側に土塁)

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▲三郭北の土塁

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▲三郭北の堀切

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▲三郭北の堀切(右が三郭)

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▲北側から見下ろす

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▲堀切下から三郭を見上げる

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▲主郭と三郭間の堀切から南(主郭東)へ廻る

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▲土橋

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▲土橋を南側から見る

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▲主郭南東の曲輪

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▲「石舟斎塁城址」の碑

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▲芳徳寺も城域の一部とされる

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▲芳徳寺境内

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▲境内に残る土塁