日比沢城跡

ひびさわじょうあと (Hibisawa Castle Ruins)

【C-SZ088】探訪日:2023/2.4・2.12

【C-SZ088】日比沢城跡 静岡県浜松市北区三ヶ日町日比沢630

【MAP】

〔駐車場所〕 城跡北東角部の墓地に駐車可能である。

【C-SZ088】日比沢城跡

   永正年間(1504~21年)頃、この地方の国人・浜名氏とともに今川氏に属していた後藤氏によって築かれたとされる。1560(永禄3)年、今川義元に従軍した当時の当主・後藤九郎真泰は桶狭間の戦いで討死してしまう。義元敗死以後、分家の後藤実久は徳川家康に付くが、城主の後藤直正は佐久城の浜名氏とともに(直正の妻は浜名頼広の妹)家康に抵抗し、1569(永禄12)年2月、家康の遠州侵攻の際に徳川方の戸田忠次に攻められ落城、敗者となった直正は家康の陣所前で下馬しなかったことを咎められ、山岡半七という者に鉄砲で撃たれてしまった。そして、日比沢城は分家の後藤実久に与えられた。1590(天正18)年、家康の関東入りとともに廃城になったとされる。
 城跡は東西に並ぶ3つあるいは2つの郭から成り、東側が主郭とされる。西側の郭は宅地,みかん畑となっている。主郭の北側と西側に堀跡がみられ、内部西側に土塁、また北側に井戸跡が残されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1504~21年・1560年・1569年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
後藤真泰 F*** 後藤実久 F*** 後藤直正 F***
浜名頼広 G126 戸田忠次 F529 山岡半七 ****

 

【C-SZ088】日比沢城跡
 

 

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二郭南側を道路下から見る 二郭の南側(右へ進むと主郭の虎口へ至る) 虎口だが、ここからは入りづらい もう一つの虎口 虎口 虎口の土塁 主郭 主郭 主郭 主郭 井戸跡 井戸跡 土塁 主郭の西側の空堀 主郭北側の堀跡 主郭北側の堀跡 主郭北側の堀跡 西から主郭に向かう道(この先が主郭北側) 主郭西側の二郭跡(民家) 南北に走る二郭と三郭の堺(堀跡?) 三郭(二郭との堺から見る) 三郭 三郭西側 二郭と三郭の堺を道路下から見る 二郭南側を道路下から見る