八幡山城跡

はちまんやまじょうあと (Hachimanyama Castle Ruins)

【C-SG002】探訪日:1991/3/24・2016/9/25

【C-SG002】八幡山城跡 滋賀県近江八幡市宮内町19-9

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SG002】八幡山城跡

   1585(天正13)年、紀州攻め,四国征伐で副将格で戦陣に入り武勲を立てた豊臣秀次は論功行賞で近江八幡43万石を与えられると安土城の隣地に八幡山城を築き、安土城の建物や城下町を移築することにした。城跡は大きく分けて2つから成り立っている。防衛としての山頂部の山城と、2本の尾根に挟まれた谷筋の空間の居館を分離する二次元分離形態をとっている。この構造は戦国期の城郭には多く見られるが、築城時が小牧長久手の戦いの翌年で、東国に対する防衛線として八幡山城が機能したことに起因する。
 山城部分は総石垣造りで、本丸,二の丸,北の丸,西の丸,出丸がY字形に延びる放射状に配置され、それぞれに高石垣で構築されている。1963(昭和38)年に京都より移築された瑞龍寺の門が八幡山城の本丸虎口となっている。本丸と西の丸に接する西北隅に、15m四方の天守台があり天守がそびえていたと推定されている。本丸の虎口は、方形の空間を設け右に折れ内枡形となっている。本丸虎口より90度曲がり、そこから下り二ノ丸に至り、さらに90度に曲がると二ノ丸と平虎口に到る。二の丸には八幡山ロープウェーの八幡城址駅がある。各曲輪の石垣の隅部分は算木積みになっており、加工された石材が使われている。この城の石垣は、南方約4kmにある岩倉山より運ばれたものである。
 豊臣秀吉の八幡山築城の狙いは、豊臣秀次の宿老に田中吉政を配し、水口岡山城に中村一氏、長浜城に山内一豊、佐和山城に堀尾吉晴、竹ヶ鼻城に一柳直末を配して、近江国を軍事的,経済的要衝として万全な体制にすることにあった。豊臣秀次は18歳で入城したが、1590(天正18)年に尾張国清洲城へ移封。代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595(文禄4)年の秀次事件で秀次は切腹、築城から10年で八幡山城は廃城となり、京極高次は大津城へ移った。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1585年 1590年・1595年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
豊臣秀次 ZZ01 豊臣秀吉 ZZ01 田中吉政 F***
中村一氏 **** 山内一豊 F944 堀尾吉晴 ****
一柳直末 OC05 京極高次 G746

 

【C-SG002】八幡山城跡
 

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【C-SG002】八幡山城跡

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▲案内板

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▲二の丸址

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▲二の丸石垣

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▲西の丸址

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▲瑞龍寺

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▲瑞龍寺

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▲開山塔