八神城跡

やがみじょうあと(Yagami Castle Ruins)

【C-GF018】探訪日:2015/9.20・2025/9.19

【C-GF018】八神城跡  岐阜県羽島市桑原町八神1998

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-GF018】八神城跡

   築城年代は定かではなく、鎌倉時代説と江戸時代説があるが、鎌倉時代の説が有力とされる。鎌倉時代、尾張国長岡庄石田郷の司職である毛利氏が移り住んだという。
 永禄年中(1558〜70年)、毛利掃部頭広雅は、織田信長に款を通じていたことにより斎藤氏によって討たれた。その後、信長は広雅の子・広盛に所領を与えており、1589(天正17)年には、豊臣秀吉により石田,大須,八神城屋敷,東方の五ヶ村3,056石の地を安堵されている。江戸時代には尾張徳川家に仕え、八神城を中心とした一帯を治め、1868(明治元)年まで続いた。
 長良川と木曽川との合流点より木曽川沿いに約3.5km遡った右岸に位置している。現在は田畑と住宅地となっており、僅かに石碑と案内板のある辺りに土塁が残されている。また、城址には毛利氏の子孫が住んでいる。城址にある「八神城址のイチョウ」は、江戸時代初期に毛利氏がかつて住んでいた石田郷から移植したものといわれ、樹齢300年以上の大木である。羽島市指定天然記念物に指定されている。なお、羽島市桑原町の眞福寺山門は一の門を移築したものといわれている。また、海津市海津町瀬古には移築された城門が残されている。

【史跡規模】

【指 定】岐阜県指定史跡(1969年1月22日指定)年
【国 宝】
【国重文】 

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1558〜70年・1589年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
毛利広雅 **** 毛利広盛 ****


【C-GF018】八神城跡
  


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