真宮遺跡

まみやいせき (Mamiya Ruins)

【V-AC006】探訪日:2020/3.12

【V-AC006】真宮遺跡 愛知県岡崎市

  【MAP】

〔駐車場所〕

【V-AC006】真宮遺跡

   1973(昭和48)年の土地区画整理事業による工事中に偶然発見された縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡である。これまでの調査成果からは、縄文時代の建物跡12棟,土器棺墓37基,土壙6基,弥生時代の方形周溝墓1基、古墳時代の竪穴建物跡11棟、奈良・平安時代の竪穴建物跡19棟と掘立柱建物1棟と埋甕2基などが検出されており、中世の渥美窯でつくられた祭祀用の小型の陶器も出土している。
 縄文時代は早期の土器も出土しているが、その主体は晩期にあり、土器をはじめとして石斧・石鏃・石皿・磨石などの日常生活道具とともに、精神生活の一端を示す石棒・石刀・石剣や土偶・岩偶・動物形土製品などの祭祀具も出土している。方形周溝墓は弥生時代中期のもので、近接して集落跡のあったことを示唆している。奈良時代には遺跡北半に8棟の建物跡をはじめとして遺構が集中するが、次の平安時代には、前時代を引き継ぐ位置に掘立柱建物と5棟の建物跡、南半に新たに6棟の建物跡が営まれるなど集落の変遷過程がうかがわれる。特に平安時代については、出土遺物中に陰刻花文をもつ緑釉陶器が含まれることなどから、この遺跡を古代の官衙に比定する見解も出されている。
 遺跡範囲は約4万㎡に及び、この内9,495.78㎡が国の史跡に指定されている。現在は遺跡保護のために実際の遺構は地下約1mに埋め戻されており、建物跡や方形周溝墓などを再現し史跡公園として整備がなされている。出土品の大部分は、岡崎市美術博物館で保管されている。
 また、この区域は戦国時代に隣接の熊野公園とともに六名城の城域であった可能性が高い。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1976年6月7日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 縄文時代:晩期 弥生時代:中期 古墳時代 平安時代 鎌倉時代
関連年号
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

 

【V-AC006】真宮遺跡  
  

 

【V-AC006】真宮遺跡

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縄文時代の平地住居跡 縄文時代の平地住居跡 縄文時代の平地住居跡 古墳時代の竪穴住居跡 古墳時代の竪穴住居跡 古墳時代の竪穴住居跡 古墳時代の竪穴住居跡 平安時代の竪穴住居跡 弥生時代中期の方形周溝墓