桂宮淑子内親王墓所〔泉涌寺〕

かつらのみや すみこないしんのう ぼしょ〔せんにゅうじ〕(Grave of Imperial Princess Katsuranomiya Sumiko [in Sennyu-ji Temple])

【K-KT041】探訪日:2015/10.3

【K-KT041】淑子内親王墓所 京都府京都市東山区今熊野悲田院山町

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-KT041】淑子内親王墓所

   1881(明治14)年10月3日、53歳で亡くなった仁孝天皇の第三皇女、世襲親王家の桂宮第12代当主であった淑子内親王の墓所である。泉涌寺内にあり、朝彦親王墓守脩親王墓が隣接する。
 淑子内親王にとって孝明天皇は異母弟、徳川家茂の正室の和宮は異母妹にあたる。1840(天保11)年1月28日に閑院宮愛仁親王と婚約するが、結婚前に愛仁は薨去してしまう。異母弟の節仁親王が継承した桂宮は、1836(天保7)年に節仁が亡くなったため当主不在となっていたため、1863(文久2)年に第12代として桂宮を継承した。女宮が世襲親王家を継承した唯一の例である。1881年に淑子の薨去をもって桂宮家は断絶となった。
 たいへん人見知りの激しい性格で、御所の庭を散歩するときにも輿に乗り簾の間から垣間見るという行動をとっていた。物怖じしない性格の妹の和宮とは全く対照的だったという。現在二条城本丸御殿といわれているのが、淑子の住まいであった桂宮邸である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 明治時代
関連年号 1881年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
淑子内親王 K621

 

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