華渓寺

かけいじ(Kakei-ji Temple)

【T-GF011】探訪日:2024/2.27

【T-GF011】華渓寺 岐阜県大垣市曽根町1丁目772-1 <📲:0584-81-7535>

【MAP】

〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。

【T-GF011】華渓寺

   1576(天正4)年、 稲葉良通(一鉄)が母の菩提寺として、その十七回忌の折に曽根城の東に創建した。開山は南化玄興。臨済宗妙心寺派、山号は曹源山。
 その後、南化玄興が去ると、一時衰退、無住寺院となったが、1667(寛文7)年7月、曽根村の稲津家,長谷川家、および村民により草庵が建てられ、勢州古川村の龍津寺より合湛首座を住持として迎え、翌年9月に妙心寺の末寺となった。さらに、17世紀後半には稲津家の3代目当主の種正により、改めて佛鑑和尚を中興開山として招き、華渓寺は再興された。
 1734(享保19)年10月、5世・逸仙和尚の時に揖斐川や支流の平野井川の氾濫の被害を避けるため、1601(慶長6)年に廃城となっていた曽根城の本丸跡へ移築した。
 ちなみに、稲津家は幕末の勤王の志士で、日本の李白といわれた漢詩人の梁川星巌の生家(梁川星巌邸跡)でもあり、7世・太隨和尚は星巌の大叔父にあたり、星巌が幼少の頃より華渓寺で学問を教えた。
 現在、境内には梁川星巌記念館(入館無料)があり、梁川星巌直筆の漢詩や書簡,肖像画などの他、華渓寺,曽根城に関する資料が展示されている。また、寺への入り口には大垣の水の豊かさに感謝する自噴井の「曽根華渓寺の福水」がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】 

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期 江戸時代:中期
関連年号 1576年 1667年・1668年 1734年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
稲葉良通(一鉄) OC08 南化玄興 **** 合湛首座 ****
稲津種正 **** 佛鑑和尚 **** 逸仙和尚 ****
梁川星巌 **** 太隨和尚 ****

 

【T-GF011】華渓寺
  

 

【T-GF011】華渓寺

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曽根華渓寺の福水