武田勝頼本陣(医王山砦)跡〔長篠古戦場〕
たけだかつよりほんじん(いおうやまとりで)あと〔ながしのこせんじょう〕
(Headquarters Ruins of Katsuyori Takeda;Ioyama Fort Ruins [Historic Battlefield of Nagashino])
【B-AC004a01】探訪日:2015/8/15
愛知県新城市長篠弥陀の前2
【MAP】
〔駐車場所〕
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1575(天正3)年4月、武田勝頼が長篠の戦いの際、長篠城攻めの陣城として医王寺の裏山に築いたものとされる。この陣城は、丘陵の先端部で比高差約30mをもつ標高約120mの位置に立地されており、約600m南方の長篠城や長篠城包囲における武田軍の各陣をくまなく展望することができる。さらには西方の豊川下流方向からの長篠救援軍が近づくことも視野に入れることができ、家康との対決を前提とした選地でもあったことが考えられる。武田勝頼本軍はここに3,000の陣を配置した。
曲輪は丘陵頂部にあり、三つの曲輪が東西方向に連なり、陣城の主たる防御機能は切岸で構成される。中心となる曲輪の西側虎口側に土塁状の高まりが認められ、西側の曲輪からの敵の侵入に対して、攻撃性を高めた造りとなっている。また、南側の麓にある医王寺からの侵入に対する防備にも優れている。
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【史跡規模】
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【指 定】新城市指定史跡(1993年7月13日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
| 関連時代 | 戦国時代 |
| 関連年号 | 1575年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 武田勝頼 | G433 |
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※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

▲医王寺からみた本陣物見櫓

▲医王寺からみた本陣物見櫓

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▲陣所配置図

▲物見櫓

▲説明板

▲本陣からの展望

▲本陣からの展望