須川城跡

すがわじょうあと(Sugawa Castle Ruins)

【C-NR045】探訪日:2025/3.30

【C-NR027】須川城跡 奈良県奈良市須川町

【MAP】

〔駐車場所〕県道47号線沿いの適当な余地に停めるのが無難。

【C-NR027】須川城跡

   別名を鷹塚城ともいう。築城年は定かではないが、一乗院国民の簀川(須川)内膳之助義正の城とされる。簀川氏は応仁の乱では古市氏に従い、1541(天文10)年頃には木沢氏に従っていた。1543(天文12)年4月16日、筒井順昭が6000余の軍勢で簀川氏を攻め、簀川氏の3ヶ所の城のうち「二ノ城」が落城し、20余人が討ち死にしたといわれている。その後は、筒井氏と対立する松永氏に与したが、1571(元亀2)年、ともに松永氏の支城を守備していた吐山氏が筒井順慶側に寝返り、簀川氏は討たれたという。
 城は標高323m,比高100mの大柳生と須川を結ぶルートを扼する場所にあり、南北45m×東西40mの四方を土塁に囲まれた方形単郭で、立地・規模からみて物見の砦の可能性が高いとされる。東側の土塁の一部は鉄塔工事の際に破壊された状態である。
 なお、須川城本城は、古地図の「御所屋敷」,「大門」,「堀口」などの地名から判断すると、西側の民家のある平地に存在していたと推定されている。

【史跡規模】

【指 定】 

【国 宝】  

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1543年・1571年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
簀川義正 **** 筒井順昭 MW21 吐山氏 ****

 

【C-NR027】須川城跡
  

 

【C-NR027】須川城跡

須川城縄張り図(「弥勒の道プロジェクト」サイトより転載加筆)

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