登呂遺跡
とろいせき(Toro Ruins)
【V-SZ003】探訪日:2025/3.24
静岡県静岡市駿河区登呂5丁目10-5
【MAP】
〔駐車場所〕登呂遺跡駐車場がありますが、有料です。
水田遺構を伴う弥生時代後期の1世紀頃の集落遺跡,低湿地遺跡である。太平洋戦争中の1943(昭和18)年7月10日、軍事工場建設の際に発見された。戦後の1947(昭和22)年、考古学・人類学・地質学など各分野の学者が加わった日本で初めての総合的な発掘調査が行われ、8万㎡を超える水田跡や井戸の跡、竪穴状平地建物,高床倉庫の遺構が検出された。この他にも、農耕や狩猟,漁労のための木製道具や火起こしの道具、占いに用いた卜骨なども出土している。なお、竪穴状平地建物とは、竪穴建物と異なり、床面を地表より低く掘り下げず、盛土(周堤)で土壁を構築する平地建物。これは、この地が特に地下水位が高く、地面を掘ると水が湧き出す土地であったためと考えられている。
さらに、1999(平成11)年から5ヶ年計画で再発掘調査が行われ、新たに銅釧や漆が塗られた槽づくりの琴が出土し、祭殿と見られる大型の掘立柱建物跡などが検出された。また、それまで大区画水田と思われていた水田跡の中に小畦畔があることが確認され、小区画水田であることが判ってきた。
登呂の弥生集落は、安倍川の洪水により押し流された土砂が堆積して形成された自然堤防上に造られている。集落には、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して竪穴状平地建物12棟,高床倉庫2棟が建っており、水田はその南につくられている。
現在、遺跡は「登呂公園」として整備され、各種建物などが復元されているほか、静岡市立登呂博物館が隣接して建てられている。
【史跡規模】 |
【指 定】国特別史跡(1952年11月22日指定) 【国 宝】 【国重文】登呂遺跡出土品 (土器・土製品/木器・木製品/石器・石製品/ガラス小玉/金属製品/骨角製品 他) |
関連時代 | 弥生時代:後期 |
関連年号 | 1世紀頃(約2,000年前) |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
皇 |
1966(昭和41)年に小学校の修学旅行で訪れて以来、今回ほぼ60年ぶりに訪れたことになる。当時の記憶はほとんどないが、卒業アルバムを開いてみたところ、なんと小さくではあるが、復元倉庫が写り込んでいた。現在よりも少し大型である。現在の遺跡説明板の写真を見ても、住居も復元時期によって形状も変わり,大きさは少しずつ小型化しているようだ。これは復元技術の進歩と捉えていいのでしょうね。