佐屋代官所跡
さやだいかんしょあと(Saya Daikansho [Magistrate's Office] Ruins)
【R-AC080】探訪日:2025/9.19
愛知県愛西市佐屋町宅地
【MAP】
〔駐車場所〕碑の横(説明板の前)に小さな駐車場がある。
1781(天明元)年、尾張藩の所付代官(藩領の政務を直接担当する地方官職)の制度により、最初に置かれた代官所で、明治廃駅まで海東・海西郡中の109ヶ村7万4千石余を治めた。
1615(慶長20)年、徳川家康はここから大坂夏の陣に船出し大勝したため、徳川方吉祥の地とされた。そこで、尾張藩祖の徳川義直は、1634(寛永11)年、佐屋街道に佐屋宿,佐屋湊,佐屋御殿を設けた。3代将軍・徳川家光の上洛の際には、佐屋御殿を宿泊の場としている。1653(承応2)年には船番所、1695(元禄8)年には奉行所が置かれ、街道の治安と三里の渡しを監視する海の関所的な機能も果たした。
1781(天明元)年、名古屋の大火を機に郡奉行が廃止され、所付代官の制度が実施されると、最初の代官所として佐屋代官所が置かれた。初代の代官・小笠原九郎右衛門から以降、29名が代官を務めた。
現在、周辺は宅地開発され、遺構は残されていないが、一角に石碑と代官所の説明板が建てられている。また、近接して佐屋船場道の石塔,きこく(カラタチ)の生垣がある。さらに、佐屋代官所手代の服部重文の次男として佐屋で生まれ、のちに名古屋へ移住し(加藤高明少年時代住居地跡)、加藤家の養子となった加藤高明第24代内閣総理大臣の顕彰碑と懐恩碑が建てられている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 江戸時代:前期 | 江戸時代:中期 |
関連年号 | 1615年・1634年・1653年・1695年 | 1781年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
徳川義直 | TG11 | 巨 |