島の山古墳
しまのやまこふん(Shimanoyama Kofun Tumulus)
【K-NR209】探訪日:2025/9.7
奈良県磯城郡川西町唐院443-1
【MAP】
〔駐車場所〕
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奈良盆地中央の大和川支流の寺川,飛鳥川に挟まれた標高約40mの微高地に立地する周濠を備えた前方後円墳である。規模は全長約200mで、後円部径約113m,高さ約17.4m、前方部幅約103m,高さ約11mを測る。東西くびれ部の後円部側に取り付く平面三角形を呈する造出しなどが存在することが明らかになっている。墳丘は3段築成で、各段斜面に葺石、段築平坦面に円筒埴輪,形象埴輪(家・靫・盾・蓋など)を備えていた。
後円部の埋葬施設は、竪穴式石室と推定されるが、明治時代に盗掘され、多量の石製腕飾類や石室の石材が取り出されたという。石材は近くにある比売久波神社に残されている。
また、1996(平成8)年の発掘調査では、前方部墳頂において未盗掘の粘土槨が検出された。その規模は全長8.5m,幅約2mで、長さ7.5mのコウヤマキ製割竹形木棺を中央に安置し、粘土を2度にわたって被覆している。棺内には、被葬者が安置された部分に水銀朱が撒かれ、頭部付近からは銅鏡3面,石製合子3点,大型管玉状石製品5点,胸部付近からは首飾りとみられる管玉、手首付近からは管玉・丸玉をつなげた腕輪が出土し、鉄製刀子4点や竪櫛も副葬されていた。さらに、被覆粘土の間からは、車輪石80点,石釧32点,鍬形石21点の腕輪形石製品合計133点が出土した。棺上や被覆粘土からは、鉄小刀2点,鉄剣5点及び合計2,500点を越える玉類や琴柱形石製品も検出されている。なお、粘土槨副葬品に武器がほとんど見られない点から、この被葬者は女性である可能性も指摘されている。
さらに、後円部と前方部の中間にもう1基埋葬施設が存在することが明らかになっており、鎌・刀子などの滑石製模造品と鉄斧などの遺物が出土している。
築造年代は、4世紀末~5世紀初頭と推測され、奈良盆地東南部のオオヤマト古墳群の首長系譜に連なるとみる見解と、葛城地域の首長系譜に連なるとみる見解とがある。
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【史跡規模】
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【指 定】国指定史跡(2002年6月20日指定) 【国 宝】 【国重文】粘土槨,銅鏡, 腕輪形石製品,玉類などの出土品 |
| 関連時代 | 古墳時代:中期 |
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| 関連年号 | 4世紀末~5世紀初頭 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
|---|---|---|---|---|---|
| 和 |
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(『古墳からみた倭国の形成と展開』(白石太一郎/著)より転載・加筆)