矢田寺(金剛山寺)
やたでら(こんごうせんじ)(Yata-dera [Kongosen-ji] Temple)
【T-NR050】探訪日:2025/11.22
奈良県大和郡山市矢田町3506 <📲:0743-53-1445>
【MAP】
〔駐車場所〕今回は本堂から南200mほどの駐車場に停めた(その先は道が狭い)。
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高野山真言宗の寺院で山号は矢田山。正式名称を金剛山寺という。別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。矢田寺の名は万葉の昔からこの地の名が矢田の里であったことに由来する。
寺伝によれば、大海人皇子が壬申の乱の戦勝祈願のために矢田山に登り、即位後の676(天武天皇5)年に天皇の勅願によって智通が開き、七堂伽藍四十八坊を造営して十一面観音菩薩と吉祥天を安置したという。弘仁年間(810~824年)に満米上人により地蔵菩薩が安置されると、以降は地蔵信仰が中心となっていった。
その後、戦乱などにより多くの僧坊が焼失している。現在は矢田寺北僧坊,矢田寺大門坊,矢田寺念仏院,矢田寺南僧坊の4つの僧坊を総称して矢田寺と呼んでいる。矢田寺の地蔵菩薩は「矢田型地蔵」と呼ばれ、右手が阿弥陀如来の来迎印のようになっているのが特徴である。
境内には、1712(正徳2)年に大修理が行われた本堂(奈良県指定有形文化財),鐘楼(梵鐘は奈良県指定有形文化財),十三重石塔,開山堂,御影堂,舎利堂,大師堂,閻魔堂,菩薩堂,講堂等が並ぶ。春日神社(国重要文化財)はかつての鎮守社で矢田寺の境内にあるが、現在は独立している。
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【史跡規模】
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【指 定】 |
| 関連時代 | 飛鳥時代 | 平安時代:前期 |
| 関連年号 | 676年 | 810~824年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 大海人皇子(天武天皇) | K307 | 智通 | **** | 満米上人 | **** |
アジサイのシーズンには相当な人出があるようだ。近辺の有料駐車場もすぐ満車になり駐車待ちの車の列ができるとか。今回はオフシーズンでもあり、寺へ向かう途中の駐車場(と思うが)に停めた。正面の山門ではなく南僧坊の横(東)の道から入ることになった。残念ながら本堂後方の開山堂,御影堂,舎利堂などを訪れることができなかったので、機会があれば再度訪れたい。
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矢田寺(金剛山寺)案内図