六道珍皇寺
ろくどうちんのうじ(Rokudochinno-ji Temple)
【T-KT047】探訪日:2015/10.4・2025/10.13
京都府京都市東山区小松町595 <📲:075-561-4129>
【MAP】
〔駐車場所〕
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創建年は定かではないが、延暦年間(782~805年)に大安寺住持で空海の師にあたる慶俊が開基となり創建されたという。異説として空海や小野篁などとする説のほか、「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(1002年)には、836(承和3)年に山代淡海が創建したとある。珍皇寺には念仏寺,愛宕寺などの別称もあるが、愛宕寺が珍皇寺と念仏寺に分かれたともいう。所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥辺野の入口にあたり、現世と他界の境と考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。
鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を有したが、やがて荒廃し、1364(正平19/貞治3)年に建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興され、その際に臨済宗に改められた。しかし、南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことと戦乱により衰退し、中世後期の寺史はあきらかではない。明治時代には一時期建仁寺に併合されたが、1910(明治43)年に独立した。
本堂裏庭には、小野篁が夜な夜な珍皇寺門前の六道の辻から冥府に通い、閻魔大王の補佐をしていたという伝説があり、冥府への入り口とされる「冥土通いの井戸」がある。また近年、旧境内地より冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見されている。