栗原九十九坊跡
くりはらくじゅうくぼうあと(Kurihara Kujukubo Ruins)
【T-GF015】探訪日:2026/4.28
岐阜県不破郡垂井町栗原
【MAP】
〔駐車場所〕
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栗原山の中腹から東山麓一帯には「九十九坊」と称する百余坊の大規模な寺院群が広がっていた。天平宝字(757~764年)の頃、聖武天皇が行幸された養老山麓の伊勢街道沿いに建立された多芸七坊(養老寺・竜泉寺・光堂寺・柏尾寺・光明寺・別所寺・藤内寺)の中の別所寺は九十九坊とも呼ばれており、この頃にはすでに創建されていたと考えられる。一方、別史料では栗原九十九坊は久保寺双寺を指すとも、久保寺と別所寺が並び建つ寺とも、諸説あり詳細は不明である。
九十九坊の範囲についても推定の域を出ないが(今後の調査待ち)、栗原山の中腹部に上寺が2ヶ寺あり、石塔集積場所の前方の平坦面(下図のA③)と栗原城跡とされる平坦面(A⑤)が比定地とされる。ここを中心に東山麓にわたって多くの寺院が建ち並んでいたと考えられている。
1335(建武2)年、足利氏と新田氏の戦いで兵火に遭い、焼失したと伝えられており、一部を除く再建されることもなかった。なお、石塔集積場所の多量の五輪塔や石仏は、明治時代の初めに各所より集められたものである。
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【史跡規模】
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【指 定】垂井町指定史跡(1957年6月15日指定) 【国 宝】 【国重文】 |
| 関連時代 | 奈良時代 | 南北朝時代 |
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| 関連年号 | 757~764年 | 1335年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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| 延 |
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栗原九十九坊跡:栗原山中腹部(「岐阜県文化財保護センター調査報告書 第147集」より)