小寺城跡
こでらじょうあと(Kodera Castle Ruins)
【C-GF097】探訪日:2026/5.10・5.17
岐阜県揖斐郡池田町小寺
【MAP】
〔駐車場所〕小寺城案内板の前に駐車場がある(Googleマップ上の℗は避けること)。
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池田山城とも呼ばれる。築城年は定かではないが、稲葉塩塵(通貞)が築き、稲葉氏三代が居城とした。
稲葉氏は伊予国の河野氏の流れで、通貞は6歳のときに伊予国安国寺に入って出家したが、性質勇悍にして常に剣術を学んだ。寛正年間(1460~66年)に伊勢神宮に詣出る途中に山中群盗に遭い、その数人を撃殺した。のちに還俗して父兄の怒りを買い、名を塩塵と改めて諸国を遊歴した。美濃国守護・土岐成頼はその勇名を聞き、塩塵を客遇する。塩塵は、伊奈波社に祈誓して参籠七日に夢に佳瑞があり、河野氏を稲葉氏と改めた。土岐成頼は、西美濃の守りを固めるために稲葉塩塵に命じて小寺城を築かせたが、しだいにその勢力を増し、同じ美濃国池田郡に勢力を固めていた本郷城の国枝氏をも凌ぐようになる。
しかし、塩塵の子である2代・通則は、1525(大永5)年の牧田の戦いで近江の戦国大名・浅井亮政と戦い、息子5人と共に戦死した。
通則の子どもで唯一残った6男が、稲葉良通(一鉄)であり、1575(天正3)年には大垣の曽根城に居城を移し、小寺城は廃城となった。
城跡は山頂部付近の標高270m,比高150m付近の平場とされ、空堀(竪堀?)が残っているが、元々あった石垣は麓の畑のしし垣に持ち出され、曲輪自体も大きく改変されているという(土地所有者談)。
池田町本郷の養源院跡地には稲葉塩塵・通則はじめ稲葉一族の墓所がある。なお、稲葉一族からは、斎藤道三の妻(深芳野)や春日局(福・斎藤利三からの養女)も輩出している。
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【史跡規模】
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【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
| 関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
|---|---|---|
| 関連年号 | 1525年・1575年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
|---|---|---|---|---|---|
| 稲葉通貞(塩塵) | OC08 | 稲葉通則 | OC08 | 稲葉良通(一鉄) | OC08 |
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いつもどおりに防獣柵を開け、城跡を訪れたが、下山途中にの池田山バイク練習場(現在は営業していない)側に出たところで声をかけられた。この土地の所有者の方で、実は防獣柵のずいぶん手前から私有地だということを知らされた。決して怒られたわけではなく、城跡の実態やこの土地自体が土石流で埋もれたことがあるなど、いろいろなお話を聞かせていただいた。話を聞く限り、確かに説明板がある個所が主郭としては小規模すぎるし、実際の城跡(縄張り)がどのようであったのかはわからない。
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