池田恒興・元助墓所〔龍徳寺〕
いけだつねおき・もとすけ ぼしょ〔りゅうとくじ〕(Graves of Ikeda Tsuneoki and Motosuke [in Ryutoku-ji Temple])
【K-GF038】探訪日:2026/5.17
岐阜県揖斐郡池田町本郷1381-3
【MAP】
〔駐車場所〕
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1584(天正12)年4月9日、ともに小牧長久手の戦いで戦死した池田恒興(信輝)と子の池田元助の墓所である。ほかに長久手の戦いで共に戦死した家臣の片桐興三郎,吉田甚内の墓、梶浦平七郎他23人を供養した忠烈塔などがある。現在の龍徳寺境内とは離れているが、寺内地とされる位置にある。
池田恒興は1536(天文5)年に父・恒利と母・養徳院の間に生まれ、養徳院は織田信長の乳母となったことで、恒興と信長は乳兄弟となった。幼少の頃から信長の小姓として織田氏に仕え、信長死後は羽柴秀吉に仕え、1583(天正11)年5月には大垣城主となった。
子の元助も弟の池田輝政とともに父・恒興同様に信長に仕えた後は秀吉に仕え、父が大垣城主となると、岐阜城主となった。
1584年、織田信雄と秀吉との関係が悪化すると、信雄は徳川家康と同盟を結び、小牧長久手の戦いが勃発する。恒興父子は秀吉につき出陣、長久手での決戦で父子共に戦死した(輝政は戦場離脱)。恒興は享年49。元助は享年26とされるが、『信長公記』からは実際には20代前半であった可能性もある。