吉野朝宮跡
よしのちょうぐうあと(Yoshino Palace Ruins)
【P-NR032】探訪日:2026/7.11
奈良県吉野郡吉野町吉野山2494
【MAP】
〔駐車場所〕
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吉野行宮(仮宮)ともいう。1336(延元元/建武3)年の暮れ、足利尊氏の京都占領によって建武政権が崩壊し、幽閉されていた後醍醐天皇が京都を脱出して穴生(賀名生)を経由して吉野吉水院に入り、数日後に近くの金峯山寺の塔頭・実城寺を「金輪王寺」と改名して行宮と定めた。
吉野朝宮は山中にある上、金峯山などの修験者勢力との連携、北朝・室町幕府側による掌握が困難な山道を利用した河内楠木氏,伊勢北畠氏,伊賀黒田悪党などの南朝側勢力との連絡などにも便利で、京都奪還と足利尊氏の打倒を目指す上での要になる土地であった。
だが、1348(正平3/貞和4)年1月には高師直率いる室町幕府軍が吉野へと侵攻し行宮を焼き払い、後村上天皇は賀名生行宮に移っている。その後、長慶天皇が1373(文中2/応安6)年8月に吉野に行宮を戻すが、長く維持することができず、1379(天授5/康暦元)年9月には既に行宮が栄山寺に移されていることが判明している。その後、1392(元中9/明徳3)年に南北朝合一を迎える。南朝56年のうち実際に吉野に行宮が置かれたのは20年弱とみられている。
金輪王寺は吉野修験の強大な勢力を恐れた徳川家康に命じられた天海によって寺号を没収され実城寺に戻された。更に明治維新の廃仏毀釈によって廃寺となる。吉野朝宮跡地は現在の金峯山寺の妙法殿辺りとされる。南朝4代の天皇が吉野について詠んだ歌の歌碑などがある。なお、没収された寺号は、吉野勢力とともに日光に移され、金をとって「輪王寺」となった。
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【史跡規模】
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【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
| 関連時代 | 南北朝時代 |
| 関連年号 | 1337年・1348年・1373年・1379年・1392年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 後醍醐天皇 | K401 | 後村上天皇 | K401 | 長慶天皇 | K401 |
| 後亀山天皇 | K402 | 高 師直 | KS08 |
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