三河国分尼寺跡

みかわこくぶんにじあと (Mikawa Kokubunni-ji Temple Ruins)

【T-AC045】探訪日:2019/2/23

【T-AC045】三河国分尼寺跡  愛知県豊川市八幡町忍地

  【MAP】

〔駐車場所〕

   三河国分寺跡の北東500mに位置する。741(天平13)年に発せられた聖武天皇の「国分寺建立の詔」で創建された国分尼寺の遺構に比定される。1920(大正9)年に発見された。寺域は約150m四方で、主要伽藍として南大門,中門,金堂,講堂,尼房および北方建物が南から一直線に配されるが、塔は存在しない。講堂左右から回廊が出て中門左右に取り付き、金堂がその回廊に囲まれる西隆寺式伽藍配置になる。なかでも金堂は尼寺としては最大規模である点、および回廊に複廊が採用される点は特徴的である。
 近年の発掘調査では、金堂,講堂,尼房の造営が先行するのに対して中門,回廊,鐘楼,経蔵の造営はかなり遅れた点、国分寺にやや遅れて建立された点が明らかとなっている。また、出土の鬼瓦が形式化の進んだ様相であることから、国分寺とともに他国の国分寺と比べて遅れ気味に建立されたことが示唆される。瓦の製作技法および西隆寺式伽藍配置からみて、神護景雲年間(767~770年)まで下る可能性が高い。
 その後の変遷は明らかではないが、平安時代末期頃には衰退したと推定される。現在は史跡整備により中門および回廊の一部が実物大で推定復元され、三河国分尼寺跡史跡公園として公開されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1922年10月12日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 奈良時代
関連年号 741年・767~770年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

聖武天皇

K308

 

【T-AC045】三河国分尼寺跡  
 

 

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【T-AC045】三河国分尼寺跡

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▲中門と回廊(実物大復元)

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▲中門と回廊

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▲中門と回廊

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▲金堂跡

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▲金堂の基壇礎石

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▲鐘楼跡(金堂跡上から見る)

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▲鐘楼跡

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▲経蔵跡

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▲経蔵跡

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▲講堂跡

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▲尼房跡

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▲北方建物跡

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▲掘立柱塀跡

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▲尼房跡から中門を見る

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▲東回廊と鐘楼跡,経蔵跡

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▲東回廊跡(左は金堂跡)

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▲国分寺と国分尼寺の位置関係