千早城跡

ちはやじょうあと (Chihaya Castle Ruins)

【C-OS005】探訪日:1990/11/17・2017/9/24

 大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早

【MAP】

〔駐車場所〕 登山口に有料駐車場がある。

鎌倉時代末、楠木正成によって下赤坂城,上赤坂城の詰めの城として、また金剛山一帯に点々と要塞を築きその総指揮所として築かれた。
 幕府軍は下赤坂城,上赤坂城を制圧すると、1333年(元弘3/正慶2年)、上赤坂城の戦い(2月22日~閏2月1日)と並行して2月27日に千早城への攻撃を開始した。吉野城を陥落させた二階堂貞藤の幕府軍も駆け付けた。籠城の楠木軍は僅か1000人足らずの小勢に対し、幕府軍は数10倍といわれる。
 しかし、幕府軍は無策の攻城のため、谷底に死体の山がうず高く重なったとされる。楠木軍の夜襲や藁人形作戦、長梯子の計と火計などにより幕府軍の多数の兵力が失われた。また、長引く籠城戦で幕府軍の士気は緩み、連歌会や碁,双六などで気ままに過ごすようになり、賽の目から口論となり200余人が殺し合う騒ぎも起きたとされる。
 やがて、護良親王の命を受けた吉野,十津川,宇陀,宇智郡の野伏が楠木軍に味方し、幕府軍の糧道を遮断したため、包囲している幕府軍の人馬が逆に飢えるようになり、包囲軍から逃げ出す者は野伏に襲われて討ち取られる有様だった。また、この間に後醍醐天皇も隠岐国の配所を脱出し、討幕の綸旨を全国に発すると、千早城を囲んでいた武将が相次いで帰国するようになる。そして、5月7日、足利高氏の寝返りによって京の六波羅探題が陥落した。その報を聞いた幕府軍は正式に千早城からの撤退を決める。5月10日早朝、幕府軍の諸将は陣を撤収し、10万騎の軍勢は南都へと引き上げたが、その混乱の中でも多勢の兵が死亡している。
 さらに、関東においては、新田義貞により5月22日に鎌倉幕府が滅亡する。千早城の戦いが終了した12日後のことであった。
  建武の新政以後、千早城は南朝方の楠木氏の居城となり、城主は楠木正行,楠木正儀そして楠木正勝と続いていた。しかし、1392(明徳3)年正月、楠木正勝の時に北朝方の畠山基国に攻められ落城し、61年に及ぶ歴史に幕を閉じた。
 千早城は、千早川の渓谷を利用し、本丸,二の丸,三の丸,四の丸,出丸の5つの曲輪に分かれ、空堀,堀切等が設けられている。本丸は長さ約100m,幅約20mの平坦地で東方の最高所は約10mの四方の土段になって、望楼櫓跡の可能性も指摘されている。現在は石垣の壇があるが、これは近代の楠権現の跡である。本丸の東南方に2ヶ所の袖曲輪、南西方には5ヶヵ所の袖曲輪が存在し「茶屋ノ壇」と呼ばれている。現在は大阪府立存道館と大阪府立山の家が建っているため変形している。千早神社の場所が二ノ丸とされ、社務所一帯が三の丸と呼ばれている。四の丸は長さ約100m,幅30mの平坦地で城内で最も広い場所となっている。四の丸の西下には、武者隠し状の帯曲輪が当時の面影を残している。
城の南には、千早谷を隔てて北山砦があり、南東には妙見谷を隔てて妙見砦があり、四周に堡塁が散在し、自然の地形を利用して連絡路があり千早城を中心に城塞群が形成されている。
 なお、本丸より東方100mの場所には、楠木正儀の墓がある。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1934年3月13日指定)
【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 南北朝時代
関連年号 1333年 1392年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
楠木正成 KI** 護良親王 K501 大仏貞直 H181
金沢貞冬 H180 北条時見 H177 足利高氏(尊氏) G332
二階堂貞藤 F027 後醍醐天皇 K501 楠木正行 KI**
楠木正儀 KI** 楠木正勝 KI** 畠山基国 G371

 

 

 

 

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▲登城口

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▲長く続く石段

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▲城址碑

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▲二の丸の千早神社

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