峯城跡

みねじょうあと (Mine Castle Ruins)

【C-ME038】探訪日:2019/12/13

【C-ME038】峯城跡 三重県亀山市川崎町4448

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-ME038】峯城跡

   築城年代は定かではないが、正平年間(1346~70年)に関盛政5男の峯政実によって築かれたとされる。峯氏は政実以降6代続いたが、1574(天正2)年に峯八郎四郎盛祐が伊勢長島の合戦で討死すると、弟与八郎が幼少であったため岡本良勝(宗憲)が城主となった。
 1583(天正11)年、羽柴秀吉側に立った良勝は滝川一益の家臣滝川儀太夫益重によって攻められ落城するが、秀吉が大軍を率いて峯城を包囲し、数ヶ月の籠城の末に兵糧が尽きて儀大夫は開城した。城は伊勢の国持大名となった織田信雄に与えられ、信雄の家臣佐久間正勝が入城した。
 翌1584(天正12)年、秀吉と信雄が対立すると、小牧長久手合戦の前哨戦として秀吉は蒲生氏郷,関長門守などに命じて峯城を攻めさせ、わずか数日で落城。
 以後、良勝は秀吉に従属し、九州の役や小田原の役に従軍した功を立て、伊勢亀山に2万2千石を与えられた。1590(天正018)年、岡本良勝が亀山城に移されたことで峯城は廃城となる。 
 峯城は八島川,安楽川が合流する地点の北西にある南へ伸びた台地の先端に築かれている。東に古城,西に落山城があり、両城は峯城の出城とも考えられる。主郭は標高80mほどのところにあり、大きく南北に長い方形の形で周囲に高土塁が巡っている。この土塁の西側中央に天守台と伝えられる幅広の櫓台がある。主郭から南に二郭がある。北端には枡形虎口をもつ独立曲輪、さらに先を降りて行くと落城時に城主奥方が身投げしたとされるかんざし井戸がある。

【史跡規模】

【指 定】三重県指定史跡(1969年3月28日指定)
【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1346~70年 1574年・1583年・1584年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
峯 政実 H108 峯 盛祐 H108 岡本良勝(宗憲) F***
滝川益重 KI43 羽柴秀吉 ZZ01 織田信雄 OD05
佐久間正勝 H504 蒲生氏郷 F923

 

【C-ME038】峯城跡
 本来、説明板がある南側が登城口かもしれないが、今回は北側から入り南下した。最初に「かんざし井戸」が現れる。その後、「←本丸」の案内板がいくつも続くが、なかなかたどり着かない。ようやく二郭が現れるが、木々もなくかなり広いため縄張図を確認しておかないと、ここが主郭(本丸)と勘違いしてしまう。二郭から北へ進むと主郭である。主郭内は杉の木が林立するが、周りの土塁は圧巻である。  

 

【C-ME038】峯城跡

 

【C-ME038】峯城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲北側の登城口(この坂から入る)

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▲もう一つの登城口(南側)にある説明板

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▲落城時に奥方が身投げした「かんざし井戸」

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▲かんざし井戸

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▲枡形虎口

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▲枡形虎口

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▲独立曲輪

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▲独立曲輪

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▲本丸(天守台)下の曲輪

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▲切岸

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▲切岸

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▲本丸に近づく

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▲後方の平坦部が本丸曲輪

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▲本丸曲輪

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▲本丸曲輪

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▲左に土塁

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▲土塁

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▲土塁上から見た本丸曲輪

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▲土塁

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▲物見櫓跡

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▲城跡南側にある登城口

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▲全景

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▲全景