志津城跡

しづじょうあと (Shidu Castle Ruins)

【C-SZ044】 探訪日:2017/5/6

【C-SZ044】志津城跡 静岡県浜松市西区村櫛町

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SZ044】志津城跡

   993(正暦4)年、巡検使として遠江へ下向した藤原共資によって築かれたとされる。 共資が遠江国司となった後も国府の磐田郡見付ではなく、この地に住み続け1035(長元8)年に亡くなった。背後の丘(御山塚)の上に葬られたという。志津城は、共資の子で井伊谷の地蔵寺(龍潭寺)で育てられた共保が井伊谷への移住を願い出たことにより、やがて廃城になったといわれる。
 戦国時代に入ると、再び浜名湖の湖上の往来を押える拠点として利用されたようである。16世紀初頭には堀江城主である大沢氏の支配下にあり、山崎権太夫,真瀬将監,山下七郎右衛門らの部将が在城していた。その大沢氏も1569(永禄12)年4月12日、徳川家康と和睦によって志津城の城としての役目は終えたものと思われる。
 現在、城山は浜名湖を埋め立てるために削られたとされている。御山塚が当時の城の一部であったかどうかは不明だが、城址らしい平坦面と段がいくつか残されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:中期 戦国時代
関連年号 993年・1035年 1569年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
藤原共資 F430 藤原共保 F441

 

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▲城址碑

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▲御山塚入口

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▲藤原備中守共資公之墓

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▲御山塚全貌

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▲御山塚遠景