極楽寺

ごくらくじ(Gokuraku-ji Temple)

【T-KN021】探訪日:2008/5/1

【T-KN021】極楽寺 神奈川県鎌倉市極楽寺3丁目6-7 <📲:0467-22-3402>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-KN021】極楽寺

   1259(正元元)年、北条重時が深沢にあった念仏系の寺院(開山は正永和尚)を当時「地獄谷」と呼ばれていた現在地に移したのが始まりとされる。地獄谷は死骸が遺棄されたり、行き場を失った者たちが集まったりする場所であったという指摘がある。1261(弘長元)年に重時が没した後は、その子の北条長時,業時が父の遺志を継いで伽藍を整備した。
 極楽寺の実質的な開祖である忍性が入寺したのは1267(文永4)年のこととされ、極楽寺の古絵図には往時の境内に施薬院,療病院,薬湯寮などの施設が描かれており、医療,福祉施設としての役割も果たしていたことがわかる。
 忍性の入寺から10年も経たない1275(建治元)年に焼失するが、忍性自身によって再建された。最盛期の極楽寺には七堂伽藍に49箇院の子院が立ち並んでいたという。
 1308(徳治3)年にも火災で焼失。修復費用獲得のため、鎌倉幕府公認の下、1315(正和4)年頃に元へ交易船(寺社造営料唐船)が派遣され、極楽寺の僧侶円琳坊が同乗している。
 1333(元弘3)年には後醍醐天皇の綸旨を得て寺領を安堵されるが、翌年にかけての鎌倉幕府滅亡に伴う戦乱に巻き込まれ損害を被る。その後も度重なる火災により焼失と復興を繰り返す。1425(応永32)年に火災で焼失。永禄年間(1558~70年)に当時の住職性善が中興するが、1571(元亀2)年にも火災に遭っている。1591(天正19)年には徳川家康より九貫五百文の朱印地が与えられた。
 近世に入り、1633(寛永10)年には沢庵宗彭が当寺を訪れ、その荒廃ぶりを嘆いている。その後、1656(明暦2)年には当時の住職恵性が再度中興した。しかし、1785(天明5)年頃には、極楽寺は無住の寺となっていた。
 山門が1863(文久3)年の建立であるほかは、関東大震災(1923年)以降の再興である。
 本堂前には忍性が薬作りに使ったとされる石鉢と石臼がある。稲村ケ崎小学校の西側のグラウンドのさらに西には極楽寺の奥の院(墓地)があり、忍性塔と呼ばれる大型の五輪塔をはじめ多くの石塔が建つ。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(2008年3月28日指定)
【国 宝】
【国重文】・忍性塔
     ・五輪塔 (1310年8月の銘)
     ・木造釈迦如来立像 (本尊,台座内に1297年の銘)
     ・木造十大弟子立像 10躯 (1268年の銘)
     ・木造釈迦如来坐像 (鎌倉時代作)
     ・木造不動明王坐像 (島根県勝達寺から移されたもの)
     ・密教法具(五鈷鈴,五鈷杵,独鈷杵)
     ・忍性塔納置品 (1303年,金銅骨蔵器,銅骨蔵器)
     ・五輪塔納置品 (1311年,銅骨蔵器,金銅五輪塔

関連時代 鎌倉時代
関連年号 1259年・1267年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
北条重時 H178 北条長時 H178 北条業時 H178
忍性 ****

 

【T-KN021】極楽寺
 境内撮影禁止のため山門のみの写真を掲載する。  

 

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▲山門

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