笠間城跡

かさまじょうあと(Kasama Castle Ruins)

【C-NR066】探訪日:2025/5.14・6.7

【C-NR066】笠間城跡 奈良県宇陀市室生下笠間

【MAP】

〔駐車場所〕南のなごみ会館の駐車場を利用させていただく。

【C-NR066】笠間城跡

   築城年は定かではないが、戦国時代に東山内の豪族・下笠間氏によって築城された。『郷士記』によると、下笠間公定,下笠間定祐,下笠間延定なる人物がいたことが知られている。下笠間氏は同じ東山内の上笠間氏,多田氏らと染田天神を舞台にたびたび連歌の会を催していたという。しかし、1581(天正9)年、織田氏による第二次天正伊賀の乱で滅亡したとされている。
 城は笠間川の西側に広がる下笠間集落の北に位置する標高350m,比高40mの丘陵に築かれた、かなり大規模な山城である。主郭,西郭を馬蹄形に配し、その前方(南側)に複数の腰曲輪(連結郭)をもつ。主郭へはスロープ状の土塁(土橋)を上がり北西にある虎口に至る構造となっている。また、西には西出郭、東には主郭と東郭間に二重堀切、その東側には3条の堀切が設けられている。さらに、主郭,西郭の後方(北側)には土塁と横堀が長く続き、西側は西出郭と西郭の堀切となるよう廻り込ませている。

【史跡規模】

【指 定】 

【国 宝】  

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1581年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
下笠間氏 ****

 

【C-NR066】笠間城跡
 かなり見応えのある山城である。縄張りもユニークで、規模も大きく計画的に歩かないと位置関係がわからなくなってしまう(今回、写真整理は写真に残る緯度経度データを参考にした)。特に、東郭から主郭,西郭の北側をはしり西出郭のところで堀切になる横堀と土塁は、山城好きにはとても印象に残る縄張りである。なお、マイカーは下笠間なごみ会館の駐車場に停めさせていただいたが、下山後、駐車場に戻ると、地元の方から「城跡の隣の山には、先日クマが出たよ」と教えていただいた(事前に知りたかったけど)。今後訪れる方は要注意です。

 

【C-NR066】笠間城跡

 

笠間城縄張り図(『日本城郭大系  第10巻』に加筆)

【C-NR066】笠間城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

主郭へ 主郭虎口 主郭 主郭 主郭から東を見る スロープを下りて西郭へ向かう 主郭と西郭の間の土塁 北の横堀を見下ろす(土塁の一部が切れているところ) 西郭へ 西郭 西郭 西郭 西郭 西郭南の腰曲輪 西郭南の腰曲輪 西郭南の腰曲輪 馬蹄形の腰曲輪 馬蹄形の腰曲輪 馬蹄形の腰曲輪から主郭の切岸を見る 主郭下(南)の腰曲輪から主郭を見る 主郭下(南)の腰曲輪 主郭下(南)の腰曲輪 主郭下(南)の腰曲輪 主郭下(南)の腰曲輪 主郭下(南)の腰曲輪から主郭を見る 主郭東下の堀切 主郭東下の堀切 主郭東下の堀切 二重堀切 東郭 主郭の東下から北側の横堀へ 横堀と土塁(左が主郭の切岸) 正面が西出郭 西出郭 西出郭 南からの遠景