小夫城跡

おおぶじょうあと(Obu Castle Ruins)

【C-NR043】探訪日:2025/3.30・7.26

【C-NR044】小夫城跡 奈良県桜井市小夫字城山

【MAP】

〔駐車場所〕橋を渡ったところ、もしくは登り口に駐車スペースがある。

【C-NR044】小夫城跡

   築城年,築城者は定かではないが、室町時代の末期に小夫氏によって築かれたとされる。小夫氏は1414(応永21)年に幕府に召された衆徒・国民53氏に名がみえる。十市氏との結びつきが強く、しばしば十市氏の山内逃避の経路となっていた。1481(文明13)年に越智方の秋山氏らに攻められて自焼し没落したのちは、越智方についた。1498(明応7)年には、没落した越智氏をかくまい吉野に逃したのち、小夫城は十市氏らにより攻められ落城した。さらに、松永久秀が大和国へ入国後は、いったん軍門に降ったが、1565(永禄8)年に秋山氏とともに叛旗を翻したことで松永軍に小夫郷を焼き払われ、籠城するも落城した。
 城は標高435ⅿ,比高55ⅿの山頂に削平された二段の郭(主郭とⅡ郭)を中心とし、その周囲には竪堀,帯曲輪を巡らし防御している。特にⅡ郭北側の竪堀は規模が大きい。Ⅱ郭へはこの竪堀の右に見て虎口に至るが、そこはⅡ郭,主郭,帯曲輪にもつながる。Ⅱ郭は約30ⅿ×40ⅿの長方形に近い。北東の坂虎口を上ると主郭であり、Ⅱ郭よりやや面積は小さいが、東側に土塁、周囲には帯曲輪を備え、南には急峻な切岸に竪堀が設けられている。
 城の北側に大手道、そして南東から南西の谷に下りる道が搦手とみられている。

【史跡規模】

【指 定】 

【国 宝】  

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1414年・1481年 1498年・1565年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
小夫氏 **** 十市氏 TC03 越智氏 ****
秋山氏 **** 松永久秀 ZZ02

 

【C-NR044】小夫城跡
 登城口(2枚目の写真)から一応コンクリートを敷かれた道(車の走行はお勧めしない)を最後まで進むと、主郭の南東下(3枚目の写真)にたどり着く。南東から主郭下の東側をまわり、小土盛り,小竪堀を過ぎると、大規模な竪堀に出るので、その先端に付いた細い道を気を付けて登ると、Ⅱ郭・主郭へと至る。

 

【C-NR044】小夫城跡

 

小夫城縄張り図(『日本城郭大系  第10巻』に加筆)

【C-NR044】小夫城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

県道38号からここを入り大和川を渡る すぐに登城口がある 城跡の南東から入る 城跡の南東を見上げる 城跡の東側を進む 小土盛りが3つある 大手道に落ちる竪堀 大手道に落ちる竪堀 Ⅱ郭北側の大竪堀 Ⅱ郭北側の大竪堀 Ⅱ郭北側の大竪堀 北側から見たⅡ郭 北側から見たⅡ郭 南側から見たⅡ郭 南側から見たⅡ郭(右が主郭) 帯曲輪,主郭への虎口 北側の帯曲輪 北側の帯曲輪 北側の帯曲輪 主郭の北側切岸 東側へまわり込んだ帯曲輪 東側へまわり込んだ帯曲輪 東側の帯曲輪 主郭南側の竪堀 竪堀から主郭を見上げる 虎口から見た主郭 主郭西側(下がⅡ郭) 井戸跡?(主郭北西辺り) 主郭東側の土塁 主郭東側の土塁 主郭東側の土塁 土塁上 土塁上 土塁上から主郭を見る 主郭からⅡ郭を見下ろす 主郭から北側の帯曲輪を見下ろす 主郭から東側の帯曲輪を見下ろす