毛原城跡
けはらじょうあと(Kehara Castle Ruins)
【C-NR072】探訪日:2025/6.7
奈良県山辺郡山添村毛原650
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、室町時代に山添波多野地方を領した畑城の奥田氏に属した気原長門守の居城とされる。また、毛原村領主・山中宗助胤順の居城とも伝わり、毛原城の歴史や城主等について詳細ははっきりしない。1467(明応6)年に越智氏に攻められて落城し、その後は筒井氏の城として機能したと考えられる。笠間城とも近く、関係もうかがえる。
城は標高310m,比高70mほどの切り立った尾根先端に築かれ、約100m×70mの規模である。主郭は東西約50m,南北約40mほどで南東に虎口があり桝形構造をとっている。主郭西側には高土塁があり、西の尾根とは2条の空堀(堀切)が南北に通り防御している。特徴的なのは、東西にも空堀が貫き、空堀は十字に交差している点である。明らかに西の防御に重きを置いた縄張りである。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 |
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関連年号 | 1467年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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気原長門守 | **** | 山中胤順 | **** | 越智氏 | **** |
筒井氏 | MW21 |
毛原城縄張り図(「奈良の城郭」より引用加筆)