色金山〔小牧長久手古戦場〕
いろがねやま〔こまきながくてこせんじょう〕
(Iroganeyama [Historic Battlefield of Komaki-Nagakute])
【B-AC002a10】探訪日:1989/12.23・2014/8.31・2020/9.5
愛知県長久手市岩作色金35
【MAP】
〔駐車場所〕
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1584(天正12)年4月7日、秀吉方(第1陣:池田恒興・第2陣:森長可・第3陣:堀秀政・第4陣:三好信吉[のちの豊臣秀次])の岡崎侵攻(三河国中入り)の情報を掴んだ徳川家康は、4月8日、地元の丹羽氏次,水野忠重と榊原康政,大須賀康高ら4,500人の支隊と、家康,織田信雄の主力9,300に分かれ小牧山城を出発し小幡城にて軍議を行い、兵力を二分して各個に敵を撃破することに決した。
秀吉方は8日に行軍を再開し、9日未明には池田恒興勢が丹羽氏重(氏次の弟)が守備する岩崎城の攻城戦を開始する。城は約3時間で落城するが、この間、三好信吉,森長可,堀秀政の各部隊は、進軍を停め現在の尾張旭市,長久手市,日進市にまたがる地域で休息をとっていた(森隊の一部は岩崎城の戦いに加勢)。
しかし、秀吉方を追って北から進軍してきた家康,信雄本軍はこの間にも色金山に陣を置き、山頂の巨石を床机代わりにして軍議を開いていた。やがて、先遣隊が白山林で休息中の三好隊を奇襲する。しかし、深入りしたため堀隊に桧ヶ根の戦いで逆襲に遭って敗走中という知らせを受ける。家康は直ちに救援を決め、池田隊,森隊の様子を窺いながら、色金山から御旗山へと軍を進めた。