白山林合戦地跡〔小牧長久手古戦場〕

はくさんばやし かっせんちあと〔こまきながくてこせんじょう〕

(Hakusanbayashi Battlefield Ruins [Historic Battlefield of Komaki-Nagakute])

【B-AC002b02】探訪日:2020/9.12・2025/10.17

 愛知県尾張旭市南新町

  【MAP】

〔駐車場所〕

   1584(天正12)年4月9日早朝、秀吉方の岡崎侵攻(三河国中入り)の第1陣である池田恒興隊が岩崎城を攻めている間、後続の第4陣・三好信吉(のちの豊臣秀次,当時17歳)隊8,000は白山林で朝食をとっていた。追走してきた徳川軍の大須賀康高,岡部長盛の先遣隊がそれを発見。まず林間に紛れ北東側面より鉄砲を一斉射撃、続いて榊原康政,水野忠重,丹羽氏次の隊が背後や南西側面から奇襲に加わった。これによって三好勢は潰滅する。信吉は自身の馬を失い、徒歩で第3陣の桧ヶ根にいる堀秀政隊へと敗走した(途中で木下勘解由利匡の馬を得る)。一説には数100人が討死したという。
 白山神社(本地ヶ原神社の前身)の言い伝えの記述から、戦場は現在の南北本地ヶ原町,長坂町,上の山町(矢田川の南側),緑町(小高い丘:雑木林のある本地が丘団地辺りか?)一帯と推定されている。北本地ヶ原町の本地ヶ原公園に説明板がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】 
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1584年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
三好信吉(豊臣秀次) ZZ01 大須賀康高 H456 岡部長盛 F011
榊原康政 G375 水野忠重 G606 木下利匡 H***
丹羽氏次 G352 堀 秀政 F833





 史跡探訪記「小牧長久手の戦い」参照


秀吉軍の三河中入と織田徳川軍の追撃

【B-AC002b02】白山林合戦地跡〔小牧長久手古戦場〕 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

本地ヶ原神社 本地ヶ原公園(尾張旭市北本地ケ原町3丁目32)