断夫山古墳

だんぷさんこふん(Danpusan-Kofun Tumulus)

【K-AC057】探訪日:2017/7/22

【K-AC057】断夫山古墳 愛知県名古屋市熱田区旗屋1丁目10-45

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-AC057】断夫山古墳

   愛知県では最大規模の大型前方後円墳で、6世紀前半頃(古墳時代後期)の築造と推定される。かつては海岸線が熱田台地西側近くまで伸びており、古墳は伊勢湾を広く望む立地となっていた。熱田神宮では「陀武夫御墓」と称するほか、古くは「鷲峰山」,「団浮山」,「段峰山」などとも表記された。現在までに本格的な発掘調査はなされていない。
 当時尾張地方に大きな勢力をもった尾張氏の首長墓に比定され、周辺では南方に白鳥古墳があるほか、北(現・野球場)には北山古墳(非現存)があったと想定されており、一帯は断夫山古墳とともに一連の首長墓群を成したと推測される。また、400mほど北方には高蔵遺跡があるが、これは断夫山古墳の被葬者に直接掌握された人々の遺跡とされる。なお、かつて本古墳は日本武尊妃の宮簀媛命の墓として熱田神宮大宮司家の管理下にあった。
 古墳の規模は、墳丘長151m、前方部は幅116m,高さ16mの3段築成、後円部は直径:80m,高さ13mの3段築成である。前方部を南南東方に向け、墳丘の西側くびれ部には造出があり、ここからは多量の須恵器が出土した。また、墳丘の表面には円筒埴輪列が巡らされていたほか、葺石と見られる川原石も検出されている。墳丘の周囲には周濠が巡らされていたが、現在の濠は昭和期の造作によるものであり、消失した本来の周濠はさらに広範囲に及ぶものであった。また、尾張の大型前方後円墳の多くが二重周濠を有することから、断夫山古墳の周濠も二重であった可能性が指摘されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(1987年7月9日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 古墳時代
関連年号 6世紀前半
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
尾張氏 OW01 宮簀媛命 OW01

 

【K-AC057】断夫山古墳
  

 

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