白鳥古墳

しろとりこふん(Shirotori-Kofun Tumulus)

【K-AC058】探訪日:2017/7/22

【K-AC058】白鳥古墳 愛知県名古屋市熱田区白鳥1丁目2-17

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-AC058】白鳥古墳

   6世紀初頭に築造された前方後円墳で、尾張氏の首長墓と考えられている。かつてはすぐ隣の法持寺が管理していたが、1876(明治9)年からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移された。熱田神宮社伝では、日本武尊の陵としている。これは、日本武尊が能褒野に葬られてのち白鳥となって当地に降り立ったという伝承に基づく。
 古墳の規模は墳丘全長70mで、前方部長さ30m,幅55m,高さ7m、後円部直径45m,高さ6.5mとされるが、前方部南端は道路建設で、後円部の東側は鳥居の建設などで、また西側も法持寺の移転改築などに伴って墳裾部が掘削されており、元々の形を留めていない。
 1837(天保8)年の台風の際、陵上の樹が倒れて内部の石室が露出したことで、石室は全長約3.7m,全幅1.2~1.5m,深さ1.5~1.8mの石垣組みで、5枚の蓋石によって覆われていたことがわかった。墳丘には須恵質の円筒埴輪が巡らされていた。またかつては墳丘の東側から北西側にかけて幅10mほどの周濠があったと推定されるが、現在では確認できない状態となっている。
 法持寺の僧侶の手によって遺物が一旦取り出されたときに、銅鏡,六鈴鏡,馬具,楕円形鏡板,直刀,鉾,玉類,勾玉などの形状や数などが記録されている(その後、遺物は石室へ戻されている)。
 熱田神宮では、北方約300mにある断夫山古墳を日本武尊妃の宮簀媛の墓とし、現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭を行なっている。

【史跡規模】

【指 定】愛知県指定史跡(1968年3月11日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 古墳時代
関連年号 6世紀初頭
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
尾張氏 OW01 日本武尊 K105

 

【K-AC058】白鳥古墳
  

 

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