東条城跡

とうじょうじょうあと (Tojo Castle Ruins)

【C-AC061】探訪日:2014/6/14・2020/12/12

【C-AC061】東条城跡 愛知県西尾市吉良町駮馬城山45

  【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC061】東条城跡

   築城年代は定かではないが、1221(承久3)年、承久の変後、足利義氏が三河国の守護となり、当時の矢作川西側を吉良荘西条として西条城(西尾城)を、東側を吉良荘東条として東条城を構え、それぞれに長男・長氏、三男・義継を置き、吉良荘を分けて治めさせた。 東条城は以後、義継を祖とする前期東条吉良氏と吉良尊義を祖とする後期東条吉良氏の居城となった。
 東条吉良氏と西条吉良氏は、南北朝時代に対立し、応仁の乱でも互いに敵対し争うことになり、その勢力は弱まっていく。1535(天文4)年の守山崩れの際には、当時の城主の吉良持広は一時は松平広忠を保護したが、その子・元康(のちの徳川家康)は、桶狭間合戦後、今川氏から独立し三河統一を進めるなかで吉良氏と戦うこととなる。
 1561(永禄4)年、吉良義昭は善明堤での戦い深溝城の松平好景らを討ち勝利するものの、藤波畷の戦いで富永忠元を失い敗れて退城する。以後は東条松平家として松井忠次(のちの松平康親)を名代として松平家忠が城主となる。1581(天正9)年、松平家忠(甚太郎)が無嗣で病没したため、家康の4男・松平忠吉が継ぐが(当時2歳)、東条城には入らず、1582(天正10)年には駿河国沼津城主となり東条城は廃城となった。
 城跡は曲輪や一部土塁が残り、現在は「古城公園」として整備され、模擬櫓門と模擬櫓が復元されている。

 

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1221年 1535年・1561年・1582年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
足利義氏 G331 吉良長氏 G357 吉良義継 G356
吉良尊義 G357 吉良持広 G357 松平広忠 MT01
松平元康 TG01 吉良義昭 G357 松平好景 MT09
富永忠元 OT15 松井忠次 G212 松平家忠 MT33
松平忠吉 MT33

 

 

 

 

  

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▲帯曲輪側からの登城口

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▲大手口

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▲帯曲輪

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▲横矢掛け

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▲三の丸跡にある説明板

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▲三の丸跡

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▲建物はトイレ

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▲三の丸跡からの眺望

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▲二の丸跡(八幡社)

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▲土塁

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▲復元された大手門跡(虎口跡)

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▲本丸跡内から見た復元大手門と物見櫓

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▲虎口の土塁

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▲物見櫓後方の土塁

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▲本丸跡

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▲本丸跡(正面が隅櫓跡)

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▲隅櫓跡

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▲搦手門跡(虎口跡)

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▲本丸跡東南側の斜面

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▲本丸跡からみた三の丸跡

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▲本丸北の曲輪跡

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▲南側からの城跡

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▲西からの遠景