光明寺跡(光明山遺跡)
こうみょうじあと(こうみょうざんいせき) (Komyo-ji Temple Ruins[Mt.Komyo Ruins])
【T-SZ002】探訪日:2020/10/30
静岡県浜松市天竜区横川
【MAP】
〔駐車場所〕
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717(養老元)年、行基が開創した霊山である。秋葉山が火の神様の火難避けなのに対して、光明山は水の神様の水難避けとされる。戦国時代には光明城築城のため、一時期、山東(地名)へと移転させられたが、江戸時代に入り再びこの地に再建され発展した。残る石垣は当時のものである。
しかし、1931(昭和6)年に火災に見舞われ、寺院は本堂一帯を焼失してしまい、再び山東の地へと移転している。
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【史跡規模】
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【指 定】 |
| 関連時代 | 奈良時代 | 江戸時代:前期 |
昭和時代:前期 |
| 関連年号 | 717年 |
1931年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 行基 | **** |
遺跡には石垣が残るのみであるが、その広さから当時の繁栄ぶりが窺われる。1931年の火災については、私の父が子どもの頃(6歳)に周智郡森町から山頂を染めた紅蓮の炎を見ることができたと話していたことがあった。現在は、地域の人々の手で遺跡や周辺の森林整備が進められている。また、ここからの眺望は素晴らしく(掲載写真ではわかりづらいが)、遠く27km先の浜松駅近くのアクトタワーも肉眼で確認することができた。
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※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲本坊跡

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▲本坊跡の土塁

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▲下に古井戸

▲古井戸

▲古井戸から本坊跡へ戻る

▲本坊跡

▲本保跡からの遠景

▲本堂エリアの石垣

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▲遠景(浜松アクトタワーも望める)

▲寺院南側の石垣

▲寺院東側の石垣

▲この奥が光明城跡