蜷原砦跡

になはらとりであと (Ninahara Fort Ruins)

【C-SZ061】探訪日:2021/1/15

【C-SZ061】蜷原砦跡 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SZ061】蜷原砦跡

   1575(天正3)年、長篠の合戦で武田氏を敗った徳川家康は、武田氏の家臣依田信守,信蕃父子が守る二俣城攻略に懸かり、鳥羽山城に本陣を構えて、その周囲に毘沙門堂砦,蜷原砦,和田ヶ島砦を築いて包囲した。蜷原砦は二俣城の尾根続きの台地上に築かれ、直接対峙の形をとっていた(和田ヶ島砦と毘沙門堂砦は川を挟む)。鳥羽山城を任されていた大久保忠世の弟の大久保忠佐が布陣していた。父信守が病死するなか、依田信蕃が指揮して半年にわたり奮戦したが、援軍の望みを絶たれ兵糧も尽き果てたため、全城兵の助命を条件に和睦に応じた。信蕃以下の城兵たちは城内を清掃して開城し高天神城へと退去した。家康は、その信蕃の統率力に感心しのちに家臣に迎えている。
 砦は清瀧寺の西の丘陵にあるが、遺構はほとんど残されていない。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 依田信守 **** 依田信蕃 ****
大久保忠佐 F647

 

【C-SZ061】蜷原砦跡
 

 

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▲清瀧寺へ降りる道

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▲二俣城跡を望む