円山城跡

まるやまじょうあと (Maruyama Castle Ruins)

【C-AC321】探訪日:2020/6.23・2023/5.16

【C-AC321】円山城跡 愛知県豊田市御蔵町広石

【MAP】

〔駐車場所〕県道33号線沿いの余白スペースに停める。

【C-AC321】円山城跡

   阿摺城ともいう。1511(永正8)年、鈴木和泉守高国の子の筑後守高教が山城国船岡山の戦いに従軍し戦功を挙げたことで、阿摺郷内に領地を得たとも単に来住したともいわれる。初代城主は高国とされ、2代目は円山義清、3代目は鈴木高教と続いた。4代目は改名して深谷三郎金丸としたが、後に鈴木姓に戻り鈴木金正と名乗っている。織田信長に仕え、1572(元亀3)年の三方原の戦いに従軍、1575(天正3)年の長篠設楽ヶ原の戦いで討死した。城は1571(元亀2)年の武田軍三河侵攻の際に落とされ、廃城になったとされる。
 足助七城の一つで、阿摺川の南の標高180mの尾根端の山頂に築かれている。本丸と西の丸,東の丸を直線状に配し、それぞれの間に堀切が設けられている。特に本丸と東の丸の間の堀切の本丸側斜面は急である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1511年・1571年・1575年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鈴木高国 SZ** 円山義清 **** 鈴木高教 SZ**
鈴木金正 SZ** 武田信玄 G432

 

【C-AC321】円山城跡
 前回は登り口が見つからず断念したが、今回は西側の坂を上っていくと、民家手前の小屋の近くに赤いテープがちらっと見え、そこからテープを目安に山頂めがけて直登した。城跡は整備され、曲輪,堀切には木札が立てられており非常にわかりやすい

 

【C-AC321】円山城跡

 

円山城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

【C-AC321】円山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

北からの遠景 南からの遠景(奥の山頂) この先は民家のためこの辺りから山へ入る 山頂を目指す(直登) 手前が西の丸腰曲輪、段上は西の丸 西の丸腰曲輪 西の丸 西の丸 西の丸から腰曲輪を見る 西の堀切(向こうが本丸) 西の堀切 西の堀切 本丸へ 本丸 本丸 本丸から西の丸を見る 本丸の東側 本丸から見た東の丸 本丸から見た東の丸 東の堀切 東の堀切 東の堀切における本丸の切岸 東の丸 東の丸 東の丸 東の丸から本丸を見る 東の丸の東側 南側の腰曲輪 本丸南側の切岸 腰曲輪の切岸