大草城跡

おおくさじょうあと (Okusa Castle Ruins)

【C-AC077】探訪日:2014/9/13・2021/4/11

【C-AC077】大草城跡 愛知県額田郡幸田町大草寺西6

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC077】大草城跡

   築城年代は定かではないが、三河国額田郡大草村から起った大草氏が鎌倉時代に築城したとされるが、南北朝時代に入ると大草三郎左衛門公経は足利尊氏に仕え、1348(正平3/貞和4)年の四条畷の戦いで壮絶な戦死を遂げた。所領は子の公延が継ぎ、代々足利氏の調理師を務めたという。
 その後、足利尊氏の側近で三河守護職となった仁木義長に従って九州より三河国へ移った西郷氏が嫡流の絶えた大草氏の後を受けた。仁木義長失脚後も西郷氏は三河に留まり、一色氏が三河守護の時に守護代となり、やがて松平氏と争うようになる。
 西郷稠頼は松平信光の侵攻に備えて竜頭山に砦(龍燈山城:後の岡崎城)を築いた。文明年間(1469~87年)、西郷稠頼の子・西郷頼嗣は松平信光に敗れ、松平信光の5男・光重を養子に迎えて家督を継がせた(岡崎松平氏)。しかし、光重の子・親貞が跡継ぎがないまま没したため、西郷頼嗣の実子である松平昌安が家督を継ぎ、西郷信貞と名乗った。西郷信貞は山中城を築いて周辺を押領し松平清康と争ったが、戦いに敗れて岡崎城を清康に引き渡し、自身は明大寺城へ退いた後、最終的に大草に隠退した。
 1563(永禄6)年、三河一向一揆が勃発すると、西郷信貞の子・昌久は一揆方として大草城に立て籠もったため、一揆終息後に廃城となり、西郷氏に加勢し一揆方の拠点となった正楽寺も廃寺となった。
 現在は大草城跡に正楽寺が再興され、城の遺構は残されていない。

 

 

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代

鎌倉時代

南北朝時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1348年 1469~87年

1563年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
大草公経 F*** 大草公延 F*** 西郷稠頼 F623
松平信光 MT01 西郷頼嗣 F623 松平光重 MT07
松平親貞 MT07 西郷信貞(松平昌安) MT07 松平清康 MT01
西郷昌久 MT07

 

【C-AC077】大草城跡
  

 

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▲正楽寺南門

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▲境内

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▲正楽寺北側の入口

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▲正楽寺北側入口の切岸

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▲北側の切岸

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▲北東部の竹藪との境

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▲北東部の竹藪

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▲東側の道路

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▲相見川支流に面した正楽寺北側

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▲道を隔てた東側