椎城跡

しいじょうあと(Shii Castle Ruins)

【C-AC056】探訪日:2014/3.16・2023/10.30

【C-AC056】椎城跡 愛知県豊田市則定町寺田

【MAP】

〔駐車場所〕則定町集会所の駐車場に停めさせていただく。

【C-AC056】椎城跡

   築城年代は定かではないが、城主として則定城主の鈴木重政の子・鈴木重次,その次男・重成および鈴木十内,鈴木重氏の名がある。重次の長男の鈴木正三(重三)は家を継がず別家を興している。則定鈴木氏は徳川家康に仕え、1590(天正18)年の家康関東移封とともに関東に移ったが、1600(慶長5)年に則定陣屋(現在の則定小学校)を構え、江戸時代は1,000石の旗本として当地を治め、明治まで続いた。
 城は則定陣屋跡の北の羅漢山(標高220m,比高120m)山頂から南西に張り出した尾根の頂部に築かれていた。堀切を越え、東側の二の丸から入る。二の丸入り口には鈴木重氏墓碑が建てられている。二の丸と本丸の間の堀切を越え帯曲輪(本丸南側)を通って本丸へは南下の南西側より登る。本丸西北側には三の丸があり、さらにその西側に北の丸が東西に伸びている。
 なお、城跡へ至る途中には、慈本豪英尼が修行した十六羅漢がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号

1590年・1600年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
鈴木重政 SZ05 鈴木重次 SZ05 鈴木重成 SZ05
鈴木十内 SZ** 鈴木重氏 SZ04 鈴木正三 SZ05

 

【C-AC056】椎城跡
  

 

【C-AC056】椎城跡

 

椎城縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

【C-AC056】椎城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

心月院跡地からの登り口(東側) 石丸太の階段が城跡まで続く 東の堀切 東の堀切 鈴木重氏墓碑 二の丸 二の丸 二の丸 本丸と二の丸の間の堀切 本丸と二の丸の間の堀切 本丸と二の丸の間の堀切 堀切から見た二の丸 前方は本丸東端 本丸南の帯曲輪 帯曲輪(右は本丸の切岸) 本丸南の帯曲輪 本丸南の帯曲輪 本丸へ 本丸 本丸 本丸の東端 本丸 本丸 本丸から見た三の丸 三の丸 三の丸から見た本丸 本丸北側の井戸跡? 本丸北側の井戸跡? 北の丸 北の丸 北の丸の竪堀?(自然崩落?) 北の丸の竪堀?(自然崩落?) 北の丸 北の丸の西端