【R-AC047】文礼館跡

文礼館跡

ぶんれいかんあと (Bunreikan Ruins)

【R-AC047】探訪日:2021/7/30

【R-AC047】文礼館跡 愛知県刈谷市司町3丁目20

【MAP】

      

 

【R-AC047】文礼館跡

 1783(天明3)年、刈谷藩主の土井利徳が美濃国の儒学者の秦子恭を招聘して刈谷城大手門の外側に開いた藩校である。
 土井氏が西尾藩主時代に儒学者の国枝再賢を招聘して設立した学校が前身。校名は中国の鶡冠子の言葉「文礼の野しきは禽獣に同じ、則、言語の暴きは蠻夷と同じ謂なり」に由来する。
 一時期途絶えたが、1868(慶応4)年に再興されて1871(明治4)年まで続いた。再興後の組織は教員は約12人、主簿(庶務係)は2人。生徒は通学者が約200人、寄宿者が約30人だった。
 明治期には刈谷義校(初等学校)に転換され、1873(明治6)年には第一番小学刈谷学校となり、1886(明治19)年には尋常小学刈谷学校となった。現在は刈谷市立亀城小学校となっている。

【史跡規模】

【指定】
【国宝】
【国重文】

 

【R-AC047】文礼館跡

関連時代 江戸時代:中期

江戸時代:後期

明治時代

関連年号 1783年 1868年 1871年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
土井利徳 G124 秦子恭 **** 国枝再賢 ****

 

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▲刈谷市立亀城小学校

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