膳所城跡

ぜぜじょうあと (Zeze Castle Ruins)

【C-SG015】探訪日:1990/11/10・2016/10/15

【C-SG015】膳所城跡 滋賀県大津市膳所

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-SG015】膳所城跡

   石鹿城,望湖城とも呼ばれる。1601(慶長6)年、徳川家康は、東海道の押さえとして大津城を廃し膳所崎に城を築かせた。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる。
 築城された年に大津城主であった戸田一西を3万石で入城させ膳所藩が成立した。その子の氏鉄は1617(元和3)年に摂津国尼崎藩に転封となり、代わって本多康俊が三河国西尾藩より入城。その子、俊次は1621(元和7)年に再び西尾へ転封となり、代わって、伊勢国長島藩より菅沼定芳が入城したが1634(寛永11)年には丹波国亀山藩に転出。下総国佐倉藩より石川忠総が入城、子の憲之は1651(慶安4)年に伊勢国亀山藩に転封となった。石川氏の後は再び西尾藩より本多俊次が7万石で入った。1662(寛文2)年には地震があり建造物が倒壊し、俊次は城の大改修を行った。膳所城は湖沿岸に建造された城であるため、時間を経ると波による浸食に悩まされ続けることとなり、絶えず城の補修を余儀なくされ、これが藩の財政を逼迫させる一因となっていた。13代220年の間、本多氏の居城となり明治維新を迎えている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】大手門,北大手門,南大手門※全て他所へ移築

関連時代 安土桃山時代 江戸時代:前期
関連年号 1601年 1617年・1621年・1634年・1651年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
徳川家康 TG01 藤堂高虎 F794 戸田一西 F533
本多康俊 F531 本多俊次 F531 菅沼定芳 G127
石川忠総 G372 石川憲之 G372

 

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▲入口

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▲城址碑

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▲天守閣跡

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