田光城跡
たびかじょうあと (Tabika Castle Ruins)
【C-ME088】探訪日:2021/10/4
三重県三重郡菰野町田光
【MAP】
〔駐車場所〕田光公民館の駐車場を利用できる。
築城年は定かではないが、永延年間(987~989年)に田光隼則によって築かれたとされる。田光隼則は後に梅戸姓に改めている。
戦国時代に梅戸氏は近江国佐々木六角氏の六角高頼の4男・高実を養子に迎え、梅戸左衛門尉高実(高貫とも)と名乗り、田光城を再興するとともに、通行税徴収のために梅戸城を築いて、この地方を支配した。この地は北伊勢と近江を結ぷ交通の要所であり、軍事上の重要地点でもあった。
梅戸高実が1561(永禄4)年に没すると、次男の実秀が家督を継いだが、1568(永禄11)年に織田信長の北伊勢侵攻により滅亡,落城したという。
城は田光川北岸の多比鹿神社の北背後の丘陵に築かれている。規模は東西250m,南北80mの範囲にわたり、主郭の周囲に石積を伴う土塁が巡っている。西尾根とは空堀で断ち切り、虎口を開いて土橋を架けている。虎口は南東隅と北側にも設けている。西虎口の南側には天守台と呼ばれる櫓台があり、現在は田光村の庄屋であった諸岡家の墓地となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 平安時代:中期 | 戦国時代 |
---|---|---|
関連年号 | 987〜989年 | 1561年・1568年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
田光隼則 | **** | 梅戸高実 | **** | 織田信長 | OD04 |
主郭までさほど距離もなく、期待以上の規模と遺構がみられ満足のいく探訪であった。説明板や遺構表示があると、もっと親しみやすくなるのでは。
※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
▲多比鹿神社
▲
▲
▲この社の右横から登城
▲
▲堀底道の石積
▲
▲南東虎口から主郭へ入る
▲南東虎口を振り返る
▲主郭
▲主郭
▲主郭
▲主郭
▲主郭
▲井戸跡
▲井戸跡
▲土塁
▲石積のある土塁
▲石積のある土塁
▲石積のある土塁
▲
▲
▲櫓台「天守台」
▲櫓台
▲庄屋・諸岡家の墓所
▲
▲櫓台から見た土塁
▲櫓台からみた主郭
▲西虎口
▲土橋
▲土橋
▲空堀
▲堀切
▲空堀
▲
▲
▲西の段郭
▲西の段郭