纏向遺跡

まきむくいせき (Makimuku Ruins)

【V-NR001】探訪日:2017/9.3・2022/10.29・2025/3.30

【V-NR001】纏向遺跡 奈良県桜井市辻62-4

  【MAP】

〔駐車場所〕

【V-NR001】纏向遺跡

   三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代前期(2世紀末から4世紀前半)にかけての集落遺跡・複合遺跡である。初期ヤマト王権発祥の地として、あるいは邪馬台国(3世紀ごろ)の東の候補地として著名な遺跡である。最古の巨大前方後円墳とされる箸墓古墳と、それより古い5つの纒向型前方後円墳が分布する。
 2011(平成23)年現在で把握されている纒向遺跡の範囲は、北は烏田川、南は五味原川、東は山辺の道に接する巻野内地区、西は東田地区の三輪山北西麓の楕円形平面形状約3㎢(300万㎡)に達する。地勢は東が高く西が低い。三輪山,巻向山,穴師山などの流れが巻向川に合流する標高60~90mの扇状地上に遺跡が形成されている。この遺跡は、広大な面積を有することや九州から関東にいたるまでのさまざまな地域の土器が全体の15%前後も出土していること、箸墓古墳を代表として纒向石塚古墳ホケノ山古墳など6墓の発生期の前方後円墳が集中して築かれていること、農耕具がほとんど出土せず土木工事用の工具が圧倒的に多いことなど他の一般的な集落とは異なり、日本最初の「都市」あるいは初期ヤマト王権最初の「都宮」とも目されている。
 また、縄文時代に土石流の流れ込みがあり被害があったことが確認されており、遺跡からは弥生時代の集落は確認されておらず、環濠も検出されていない。遺跡より南に少し離れた所からは弥生時代中期・後期の多量の土器片が出土しており、方形周溝墓や竪穴建物なども検出されている。南西側からも多くの弥生時代の遺物が出土している。
 2011年には辻地区で「卑弥呼の居館」とも指摘された3世紀前半の大型建物跡の約5m東側から別の大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が3世紀後半以降と判明。大型建物の規模は南北約19.2m×東西約12.4m、床面積は約238㎡と推定されている。ただ、東に通るJR桜井線の線路下の調査ができないため、さらなる調査は難航している。
 また、纒向遺跡全体でもこれまでの調査面積は遺跡推定範囲の2%にも満たず、未だ不明な点が多く残されている。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(2013年10月17日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 弥生時代:後期~古墳時代:前期
関連年号 2世紀末~4世紀前半
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

 

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【V-NR001】纏向遺跡

 

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