富永忠元一族討死の地〔藤波畷古戦場〕

とみながただもといちぞく うちじにのち〔ふじなみなわてこせんじょう〕
(Place Where Tadamoto Tominaga Family Were Killed[Historic Battlefield of Fujinaminawate])

【B-AC010b】探訪日:2021/11/19

 愛知県西尾市吉良町寺嶋五反田57-1

【MAP】

〔駐車場所〕

   1561(永禄4)年、今川氏から独立した松平元康(のちの徳川家康)は三河統一過程において東条吉良領を切り取ろうとし東条城の吉良義昭と敵対する。しかし、松平好景一族が善明堤の戦いで討死するなど敗戦が続いた。
 同年9月13日、本多広孝,松井忠次は小牧砦,友国砦より出軍して東条城を目指し藤波畷に進んだ。本多広孝が先鋒で先駆けし、松井忠次の弟・松井光次が後詰めで進撃した。松平軍の出撃を知った吉良家の家老・富永忠元はいつもの如く先駆けしたが、単騎で突出して孤立し松平軍に藤波畷で追い詰められてしまう。松平方の大久保大八郎,鳥居半六郎が戦いを挑むが忠元に斬られた。しかし、忠元も体力が尽き、続く本多広孝の槍の前に突き伏せられ、広孝の家来・本多甚十郎によって討取られた。頼みとした富永忠元を失った吉良義昭は戦意を失い、東条城を明け渡し降伏した。
 忠元(伴五郎)の討たれた場所には、1717(享保2)年に村民たちにより伴五郎地蔵が祀られている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:中期
関連年号 1561年 1717年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平元康 TG01 吉良義昭 G357 富永忠元 OT15
本多広孝 F504 松井忠次 G212 松井光次 G211
大久保大八郎 F*** 鳥居半六郎 F*** 本多甚十郎 F***

 

 

 

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【B-AC010b】富永忠元一族討死の地

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▲後方に見えるのが東条城跡