勝間田城跡

かつまたじょうあと(katsumata Castle Ruins)

【C-SZ025】探訪日:2015/10.23・2026/4.12

【C-SZ025】勝間田城跡 静岡県牧之原市勝田

【MAP】

〔駐車場所〕登城口に駐車場がある。

【C-SZ025】勝間田城跡

   築城年代は定かではないが、15世紀半ば頃に勝間田氏によって築かれたとされる。勝間田氏は古くから当地(勝田庄)を本領とし、鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕えた名族である。勝間田城の南西、菊川流域を支配した横地城の横地氏とは同族とされる。
 1476(文明8)年、勝間田修理亮は横地四郎兵衛ともに、駿河から遠江に進出した今川義忠と見附城で戦い、敗死した。勝間田氏と横田氏の残党は今川義忠の帰途を塩買坂で奇襲し、義忠を討ち取ったが、勝間田城も落とされ、勝間田氏は一族離散となった。残党の一部は富士山の東の裾野へ落ち延びている。
 勝間田城は勝間田川の南の標高126m,比高69ⅿの丘陵地に築かれており、その規模は東西250m,南北120m以上。出曲輪の南に大きく三の曲輪,二の曲輪,本曲輪が続く。さらに本曲輪を囲む形で北尾根曲輪,東尾根曲輪,南尾根曲輪がある。二の曲輪、三の曲輪は土塁で囲まれた南北二段の広い曲輪となっており、多くの建物跡や馬洗場が確認されている。大勢の兵を収容できる駐屯地的な曲輪と言える。
 二の曲輪と北尾根曲輪の間には幅10ⅿの大堀切で区切られ、山頂の本曲輪には2箇所に大土塁が残る。東尾根曲輪から東へ伸びる尾根は5条の連続堀切によって遮断している。数次にわたる発掘調査では、多くの建物跡のほか、井戸などの遺構や土器,木簡,古銭などの遺物が検出されている。さらには、本曲輪を中心とした小規模で古式な形態は、勝間田氏古来の縄張りとされ、5条の堀切や馬出状の腰曲輪を設けた南尾根曲輪などは戦国期の特徴を示しているという(ただ、戦国期の遺物は確認できていない)。

【史跡規模】

【指 定】静岡県指定史跡(1983年2月25日指定)

【国 宝】 

【国重文】

年関連時代 戦国時代
関月連年号 1476年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
勝間田修理亮 F039 今川義忠 G360


【C-SZ025】勝間田城跡



【C-SZ025】勝間田城跡


勝間田城縄張図(『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』に加筆)

【C-SZ025】勝間田城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

出曲輪(的場) 出曲輪(現在は茶畑) 出曲輪の西の竪堀 南に三の曲輪が見える 三の曲輪へ上る 左下に出曲輪が見える 三の曲輪 三の曲輪 三の曲輪の土塁 三の曲輪の土塁 三の曲輪 三の曲輪の東側 三の曲輪東側の2条の堀切 堀切底から見る 馬洗場 馬洗場 西三の曲輪 西三の曲輪の建物跡 三の曲輪から二の曲輪へ 二の曲輪の土塁 二の曲輪の土塁 二の曲輪 二の曲輪 二の曲輪 勝間田氏の歴史 二の曲輪と北尾根曲輪の間の堀切 二の曲輪と北尾根曲輪の間の堀切 二の曲輪と北尾根曲輪の間の堀切 二の曲輪 右手に北尾根曲輪 北尾根曲輪(左は本曲輪斜面) 北尾根曲輪 北一段下も北尾根曲輪 L字の土塁を設けた北尾根曲輪 L字の土塁を設けた北尾根曲輪 本曲輪へ 本曲輪 本曲輪 本曲輪の土塁 本曲輪の土塁 本曲輪の土塁 本曲輪の土塁 東尾根曲輪 東尾根曲輪 東尾根曲輪の東側に続く堀切 東尾根曲輪の東側に続く堀切(二の曲輪から見る) 東尾根曲輪の東側に続く堀切 東尾根曲輪から見た本曲輪,北尾根曲輪 南尾根曲輪へ 南尾根曲輪 南尾根曲輪 南尾根曲輪 南尾根曲輪の土塁 南尾根曲輪の西側の堀切 南尾根曲輪東側(南尾根曲輪と本曲輪の間)の堀切を見下ろす 南尾根曲輪と本曲輪の間の堀切 南尾根曲輪の西側の小堀切(わかりづらいが)