叡福寺

えいふくじ (Eifuku-ji Temple)

【T-OS005】探訪日:2017/9/24

【T-OS005】叡福寺 大阪府南河内郡太子町太子2146

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-OS005】叡福寺

   御本尊は厩戸皇子16歳のときの御尊像である。寺伝によれば、厩戸皇子は生前、620年にこの地を墓所と定めたという。621年、母の穴穂部間人皇女が没するとここに葬られ、翌622年、相次いで没した厩戸皇子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたといわれる。皇子の没後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。約1世紀後の724(神亀元)年、聖武天皇の発願で東院,西院の2つの伽藍を整備し、西院を叡福寺と称したというが、正史には見えず史実かどうか定かではない。叡福寺の創建年代については諸説あり、実際の創建は平安時代以降に下るとする見方もある。
 叡福寺は歴代の天皇や権力者に重んぜられた。平安時代には嵯峨天皇をはじめ多くの天皇が参拝しており、平清盛は子息の平重盛に命じて堂塔の修理をさせている。また、厩戸皇子は仏教の興隆に尽力したため、日本仏教の開祖として賛仰され、空海,良忍,親鸞,日蓮,一遍など新仏教の開祖となった僧たちがこの寺に参籠したことが知られている。
 1574(天正2)年の織田信長による兵火で大きな被害を受け、古代の建物は残っていない。その後、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を再興した。1603(慶長8)年に再建された聖霊殿、1652(承応元)年再建の多宝塔が重要文化財に指定されている。南大門をくぐって左側に多宝塔・金堂・聖霊殿があり、正面奥が厩戸皇子廟所となる。ほかに浄土堂、上の御堂、念仏堂などがある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】聖霊殿(1603年再建)/多宝塔(1652年再建)
    絹本著色文殊渡海図/絹本著色涅槃変相図

関連時代 飛鳥時代 奈良時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 620年・622年 724年 1574年 1603年・1652年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
厩戸皇子 K303 穴穂部間人皇女 K302 膳部臣菩岐々美郎女 KW**
推古天皇 K302 聖武天皇 K308 織田信長 OD04
後陽成天皇 K603 豊臣秀頼 ZZ01

 

【T-OS005】叡福寺
  

 

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▲門前

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▲南大門

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▲南大門

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▲叡福寺縁起

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▲二天門

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▲多宝塔

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▲金堂

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▲金堂

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▲多宝塔と金堂

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▲聖霊殿(太子堂)

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▲弘法大師堂

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▲浄土堂

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▲厩戸皇子廟所

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▲厩戸皇子廟所